哀悼(大石又七氏)

2021年3月7日、大石又七さんが永眠されました(享年87才)。大石さんは、67年前の1954年3月1日、太平洋・マーシャル諸島のビキニ環礁でアメリカが実施した水爆実験「ブラボー」による放射性降下物「死の灰」が降り注いだ第五福竜丸の漁船員でした。後年、核兵器廃絶を求め、自らの体験をもとに証言活動に取組まれていましたが、福島原発事故後は原発も含む核廃絶を訴えておられました。心よりご冥福をお祈りいたします。

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《参 照》
「中日新聞しずおか」による報道
「オンラインミュージアム 戦争と静岡」サイト(水爆実験と992隻の漁船について)
東京都立第五福竜丸展示館
同展示館メッセージ(英訳含む)

遠いスタートライン

2011年3月11日に発生した巨大地震や津波、東京電力福島第一原発事故によりお亡くなりになられた方々(直接死・自死・震災関連死)に謹んでお悔やみを申し上げます。避難されている等、被災影響が続いているみなさまには心よりお見舞い申し上げます。

10年過ぎてなお、人災である原発事故により、困難を極める廃炉作業をはじめ、放射能汚染地域での営み、避難者支援のことなど、多様な課題が山積みです。

3月1日、『子ども脱被ばく裁判』の福島地裁判決がありました。遠藤東路裁判長は1分ほどの判決言い渡し後、原告や傍聴者から逃げるように立ち去りました。子どもたちを安全な環境で教育することを求め、長期低線量被ばく、とりわけ、不溶性セシウム等について従来の知見では想定されていなかった内部被ばくの危険性が懸念されることや、学校での放射性物質の安全基準が厳格性を欠くこと等が指摘されていたものの、裁判長は予防原則に立った放射線防護の考え方から逸脱し、原告親子の訴えを退けました。

養育者とともに、学校や地域、地方自治体や国(=社会)が子どもたちを保護すべきなのに、非常時の被ばくを容認し、将来的な健康影響を顧みず、放射線防護の歴史的経緯(表)や科学的真理にすら背を向ける司法判断でした。

子ども脱被ばく裁判の会 控訴声明(20210311)

放射能汚染にとどまらず、人為的要因による分断や孤立が深刻化しています。目に見えないことで、被害の実態すら私たちは知ることができているでしょうか。

いずみでは、複雑に入り組んだ放射能に関する諸課題に対し、今後も不安を持つ方々へのご支援に取組んで参ります。みなさまからのこの10年のお支えを心よりお礼申し上げます。これからもともに歩んでくださいますようお願いいたします。

小高区団第3分団第10部屯所
2021年2月28日午後2時ごろ
HORIBA Radi(PA-1000)による計測 地上約1m
小高区団第3分団第10部屯所にあるモニタリングポスト(0.082μSv/hを表示)

とあるバス停にて(福島市内
2021年3月1日午前11時ごろ
福島市内のとあるバス停付近にて 地上約1m

日本キリスト教団東北教区放射能問題支援対策室いずみ 事務局長 服部賢治

「3・11」オンラインイベントのご案内

人災である東京電力福島第一原発事故から10年。解決には程遠く、被災した方々の苦難を分ちあうオンラインイベントをご案内いたします。それぞれ事前の申込みが必要です。詳しくは画像をクリックしてご確認いただきますようお願いいたします。

20210311 チャリティーオンラインコンサートパンフ(おもて)
3/11(木)14:30~ ミホプロジェクト主催
「祈りのコンサート ひまわりの丘」

20210320 原発事故から10年 甲状腺がんの現状は?いま、当事者の声をきく
3/20(土)13:30~ 3・11甲状腺がん子ども基金主催
「原発事故から10年 甲状腺がんの現状は?いま、当事者の声をきく」