「この世の最上の業」

エフェソの信徒への手紙 6章18~20節

説教 伊藤 香美子 姉

  先日バスに乗ったとき、学生さんに席を譲られ、初めての経験で一瞬戸惑いましたが、「ありがとう」と感謝して座りました。一昨年、後期高齢者となり、日々自己の老いを自覚しているつもりでしたが、正直なところショックでした。しかし 、これからは自己の 老いをしっかり受け止めて、キリスト者としていかに老いを生きるか を考えねばと思いました。 その時、ヘルマン・ ホイベルス神父の「最上の業」に出会い、大きな希望を与えられました 。
  今若い人も必ず老います。共に「最上の業」を学びましょう。

最上の業
ヘルマン・ホイベルス神父


この世の最上の業は何?
楽しい心で年をとり、働きたいけど休み、失望しそうなときに希望し、
従順に平静に己の十字架を担う。
若者が元気いっぱいで歩むのを見てもねたまず、
人のために働くよりも、謙虚に人の世話になり、
弱っても、もはや人の為に役立たずとも親切で柔和であること。

老いの重荷は神の賜物。
古びた心にこれで磨きをかける。真の故郷に行くために!

己をこの世につなぐ鎖を少しずつはがしていくのは真にえらい事。
こうして何もできなくなれば、それを謙虚に承諾するのだ。

神は最後に一番良い仕事を残してくださる。 それは祈りだ。
手は何もできない。けれど最後まで合掌できる。
愛する全ての人の上に神の恵みを求める為に。

全てをなし終えたら臨終の床に神の声を聞くだろう。
「来よ、わが友よ、われ汝を見捨てじ」と言い。
2021年3月21日 | カテゴリー : 主日礼拝説教 | 投稿者 : サイト管理者

教会創立記念礼拝「一緒にお泊りください」

ルカによる福音書24章13-35節

説教 栗原 健 兄

 教会の創立記念日にあたる今日、「エマオへの道」の話を通じて、教会とはどのような存在であるかを考えてみましょう。「エマオ」の話を聞くと、私には思い出すことがあります。私が研究のためにドイツに滞在していた頃、バード・ガンダースハイムという町に行く機会がありました。この町に聖ゲオルク教会という小さな教会があるのですが、入口の扉に「エマオ」の場面が描かれていました。金色に染まった夕焼けの景色の中にイエスと2人の弟子の後ろ姿があり、下には、「一緒にお泊りください。もう日が暮れます」との言葉が添えられていました。おそらく17世紀頃に旅回りの画家が描いたのであろう拙い絵ですが、このイメージが不思議と私の心に残りました。
 「エマオ」の話には、神の愛があふれています。復活を信じずにエルサレムを離れた2人の弟子たちを、主イエスは見捨てることなく後を追って行きます。姿を隠して彼らの前に現れたのは、彼らのホンネを聞きたかったからでしょう。面白いことに、文字数で言えばこの物語のメインは、イエスに促されて弟子たちが語った落胆と混乱の言葉です。ある意味、これは主イエスらしい話ではないでしょうか。主は私たちの痛み、失望、迷いに耳を傾けて下さいます。「それを話してほしい」と言われるのです。痛みを分かち合った後、御言葉が心にしみ入り、神の導きを知る。それは信仰の道そのものだと言えます。
 こう考えると、教会はエマオの宿のようなところだと言えます。苦しみを分かち合い、御言葉を聞きつつ共に歩み、感謝して食を分かつ。その時に、主イエスが今まで自分たちと一緒に歩いて下さっていたこと、御言葉を通じて励まして下さっていたことを知る。神の恵みの内に歩んで来たことを思い出す。そこから力を得て再び旅路に出る。それこそが、私たちが教会に集う意味と言えます。殊に創立記念の日にはそのことが強く感じられますね。北教会も多くの試練を経て来ましたが、主が共に歩んで下さったことを思い起こし、力を得て旅を続けましょう。

2021年3月14日 | カテゴリー : 主日礼拝説教 | 投稿者 : サイト管理者

東日本大震災記念礼拝「御顔こそ、わたしの救い」

詩編42編 2~12節

説教 原 誠 牧師

 今朝、わたしたちは10年前の2011年3月11日の東日本大震災を憶えて礼拝を守る。
 地震と津波、そして原発の事故がわたしたちにもたらした出来事の前で、今を生きている。そしてたしたちはそのなかにあって、一人一人キリスト者としての信仰を持つもの、あるいは広く宗教者として、このできごとをどのように受け止めるのか、今朝、ともにみ言葉から受け止めたい。
 わたしは昨年3月、仙台フィルが避難所などで演奏するテレビの番組を見た。仙台の仏教寺院を会場にしてアヴェ・マリアの曲が流れた。それを歌っていたのは菅英三子さんだった。歌に聞き入っていた人びとは宗教の違いを超え、信仰の有る無しを超えて、涙を流しながら歌に耳を、そして心と魂を傾けていたシーンを憶えている。
 今朝、限られた時間であるが、端的に二つのことを、ほぼ結論的に述べる。
ひとつは神義論に関する議論に関するものだ。なぜ地震、津波が起こるのか。もう一つは創造論に関わる議論だ。
 神義論とは「もし神が正しいなら、なぜ悪があるか、災難、不公平があるか」、「なぜ神に忠実なものが苦しまなければならないのか」という問いに、神はどう答えるのかという議論だ。わたしたちは、この震災が人間の傲慢に対する神の裁きだという理解には決して与しない。そしてこの議論については、(1)われわれはこの問いに答えられない。(2)しかし、この場合、地震、津波などの「10年前」における犠牲者(生命、家族、職場、地域共同体)への「祈り」を取り上げない神学(信仰)はない。神はその現実のただなかに生きて働いている。(3)だからこの問題は、答えのないままで問い続けられなければならない。これが神議論に関する達し得た現実である。そしてそれは自分の思いや願いを実現してくれるのが神であるという切実な祈り、うめきであっても、それがいかに敬虔な信仰から生み出されたものであっても、それは実は信仰深くわたしが神になるということになろう。神のみが神である、ということに対して徹底的に謙遜にされるということである。
もうひとつは創造論に関わる。原子力や地球の温暖化を含めたわれわれの科学技術と文明に関わる理解だ。聖書はこのようにわれわれが築き上げてきた近代の文明に対して、神は人間に何を命じているか、ということだ。創世記1章の神の天地創造の物語のなかで、神は人間を創造し、「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ」。そして「神はお造りになったすべてのものをご覧になった。見よ、それは極めて良かった」とある。神は人間に管理を委ねた。われわれ人間はIMAGO DEI(神の似像)である。わたしたちは、人間の欲望が科学技術を開発し、その恩恵を享受してきたが、その根本のところでわれわれは神によって創造された被創物であることを深く心に刻みたい。神からの委託に応えるということは、徹底的に謙虚になることだ。
神議論と創造論という二つの重要なキリスト教の思想のただなかで、わたしたちは10年を憶えつつ、現在の状況を深く憶え、その課題を担っていく使命を果たしていきたい。

「将来の教会像への参考に~フィリピンのキリスト教」

箴言29章18節
使徒言行録2章1-4節

説教 北 博 兄

 現在フィリピンと呼ばれる群島は、1565年からスペインの統治下に入った、とされる。ところがこの時既に、イスラム文化が南部からルソン島のマニラにまで達していた。その後スペインは急速に支配地域を拡大するが、ルソン島に次いで二番目に大きい南部のミンダナオ島を支配することは最後まで出来なかった。その結果、スペインは全体としてはフィリピンのカトリック化に成功したにもかかわらず、南部のミンダナオ島とその周辺だけはほぼ全部イスラム勢力として残った。
 その後フィリピンは、1898年に米西戦争に乗じて独立を宣言するが、翌年米国に武力制圧され、以後米国の植民地となる。米国はミンダナオ島も徹底的に武力で制圧し、セブ島などから貧農を多数入植させる。この結果、農民の間でカトリックとイスラムに分かれた土地をめぐる争いが始まる。その後日米戦争開始直後からフィリピンは日本に支配されるが、日本の敗戦によって再び米国の支配下に戻った後、1946年に独立。この後も米軍の駐留は続くが、1991年の国会決議によって米軍基地はすべて返還され、米軍は撤退した。
 このような歴史的経過を辿ったため、フィリピンは今でも基本的にカトリック国だが、イスラム人口も南部を中心にまとまった形で存在する。フィリピンのキリスト教は、長い間の他国による支配の歴史を反映して、民族主義的傾向が強い。また、1986年と2001年の二度の政変の際には、教会が民主化運動を担った。フィリピンでは共同体的な結束がかなり強い。教会が地域の催しの会場となったり、牧師が地域のお世話役として活動したりもする。更に、一般にフィリピン人は体を使った表現を好むので、様々な象徴行為で信仰を表現することが多くある。従って、政治的危機の際に教会からみんなで一緒に歌いながら通りを行進し、公園で集会を始めるといった行動も、自然な流れのようだ。
 あちらでは、本は貴重品で、貧しい農民にはとても手が出ない。それにもかかわらず聖書は、人々の生活に密着している。その理解は単純素朴だが、生活の中でよく咀嚼されている。牧師の説教は分かり易くて実際的で、できれば楽しいものが喜ばれる。皆さんおしゃべりと会食が大好きで、礼拝が終わってもなかなか帰ろうとはしない。平日も子沢山の家々では毎日どこかで誕生祝いが行われ、牧師さんはあちこち忙しく顔を出す。
 箴言29章18節の「幻」は英語ではビジョン、次の「教え」はルールや規範。「幻」とは設計図、「教え」はその具体化である。今、世界中がコロナ禍に苦しんでおり、社会や人間の在り方が世界大の規模で問われている。その中で教会もまた、その本質的役割とこれからの在り方が問われている。これは決して容易なことではない。しかし使徒言行録2章に記されているように、教会は元来人間の力ではなく聖霊の業によって開始された世界的出来事である。将来を見据え、大きな方向性を見誤らないようにしたい。

2021年2月28日 | カテゴリー : 主日礼拝説教 | 投稿者 : サイト管理者

「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣く」

ローマの信徒への手紙 12章9~15節

説教 原 誠 牧師

 今日の説教では沖縄の教会の歴史的な事柄を知ることを通して、教会とは何かということについて思いを深めたい。
 独立国であった琉球は日本に編入されたあとのキリスト教の伝道は、1880年代に本土で教派の教会が成立した後に始められた。そのときは通訳が必要であった。時代が下って1941年に宗教団体法によって日本基督教団が成立した時、沖縄の教会は九州教区の沖縄支教区となった。当時の沖縄には5教派、16教会(日本基督教会、日本メソヂスト教会、日本パブテスト教会、きよめ教会、そして救世軍)があり、クリスチャンは約2000名であった。
 沖縄戦が始まる前に集団疎開が始まり、本土出身、沖縄出身のほとんどの牧師が沖縄を離れた。この出来事はのちに羊飼いが羊を見捨てて逃げ去ったと言われた。沖縄に残ったのは首里教会の佐久原好伝牧師のみで、彼は教会を守って最終的に戦死した。沖縄戦後、住民は収容所で生活を始め、生き残ったキリスト者は共に讃美歌を歌うことから戦後のキリスト教の活動は再開された。それは九州教区沖縄支教区が消滅したということであった。収容所では牧師が決定的に足りなかった。特徴的なことは神学教育を受けなかった信徒が米軍のチャプレンから按手礼を受けて牧師となって教会の再建にあたったことである。戦後の沖縄の教会は「信徒の教会」だった。
 イエス・キリストが支配する教会が国家、政治、軍事によって分断されたことを、信仰の共同体であるわたしたちはどう捉えたらよいのか。もちろん本土でも教会もまた罹災し、飢え、自分の教会の再建で大変だったが、わたしたちが口にする「隣人」、否「主にある同胞」を意識の中から欠落させてしまった歴史を深く知る必要がある。
 そしてアメリカの教会の援助を受けて沖縄の教会から有望な青年が本土やアメリカに留学し、卒業後に沖縄の教会にもどってきた。ここでは米軍によって按手礼を受けた牧師と神学を学んできた青年牧師との間のキリスト教理解や米軍認識などで大きな溝となった。
 1966年の夏に行われた教団の夏期教師研修会では教団の戦争責任が議論され始めた。その発端はその前年に当時の大村勇日本基督教団議長が韓国基督教長老会の総会で謝罪したことに端を発したものであった。このときこの講習会に出席していた沖縄出身でルーテル神学大学に留学した山里勝一牧師が、韓国への謝罪が問題となっているが沖縄の歴史、教会のことを忘れているのではないか、という指摘がなされた。これは参加者に衝撃を与えた。その後、急速度で日本基督教団と沖縄キリスト教団との合同辺の準備が進められ69年2月、二つの教会は合同議定書を交わして、今度は教団沖縄教区となった。当時の日本基督教団は20万の信徒、15教区、1700の教会。沖縄キリスト教団は2000人の信徒、24の教会であった。両教会のサイズは全く違うが、しかしここでは「合同」とされた。その意味はそれぞれの独自の異なった歴史的背景をもった独立した教会、教団同士が合同してひとつの教会になるということだ。喜びと涙を分かち合うことがなければ、教会はこの世の企業と同じような論理で生きていることになる。わたしたちの教会は「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣く」ことができるか、それを求めていきたい。

2021年2月21日 | カテゴリー : 主日礼拝説教 | 投稿者 : サイト管理者

「人たるの名に値するために」

マルコによる福音書2章23-28節

説教 新免 貢 教師

 本日の聖書箇所は、イエスの弟子たちが空腹になって、麦の穂を摘んで食べ始めたという話です。貧しい農村社会におけるのどかな風景を想像させてくれこの話には、当時の宗教上のおきてが関係しています。弟子たちが麦の穂を摘んだのが、労働をしてはいけないと定められた安息日でした。麦の穂を摘むということは労働と見なされていました。弟子たちは、安息日にしてはならないことをやったことになり、それが宗教上の重要なおきてを破ったと当時の陰湿な宗教指導者たちから批判されました。それに対して、イエスが、「安息日という制度は人間のためにできたのであり、人間が安息日という制度のためにできたのではない」と言い放ちました。これは、「法は人のためにあるのであって、人が法のためにあるのではない」と言い換えることができます。スカッとするような人間解放宣言です。
 しかし、この発言は、社会の規範や宗教上のおきてを守ることを重視している者たちには、自分たちの存在証明である規則や規範や法律を正面から否定された気になります。こういうことを言い放つと、命も狙われかねません。安息日のおきてを破った場合、死に定められるという掟があったからです。同じ立派な見識ある発言も、命の危険をかけてまで言うのと、命の危険など意識する必要もないところで語るのとでは、ずいぶん差があります。自由や平等をよいことであると考えている私たちが「法は人のためにあるのであって、人が法のためにあるのではない」と主張しても、命を失う危険はありません。それどころか「いいことを言うね」と褒められるでしょう。しかし、イエスは踏み込んで、「法は人のためにあるのであって、人が法のためにあるのではない」と言い放った時、イエスは命を懸けて言っているのです。これはイエスらしい人間解放宣言です。この宣言により、死んだイエスの存在が今ここによみがえるのです。

2021年2月14日 | カテゴリー : 主日礼拝説教 | 投稿者 : サイト管理者

「民族の苦闘の中で-カンボジアの教会」

詩編 77編 2~16節

説教 原 誠 牧師

 今朝はカンボジアの教会について語る。カンボジアに関する一般的な認識はポルポト時代に大虐殺が行われたこと、多くの人々が難民となった、アンコール・ワットがある国というあたりだろうか。ポルポト時代には人口700~800万人の時代に100万人から200万人という人びとが殺され、そのなかには教師や医者、公務員、資本家、芸術家、宗教関係者らが含まれていた。このカンボジアにもほんのわずかだがキリスト者がいる。資料によればプロテスタントの教会の信徒の数が8万人という。
 18年前に訪れたとき、100を超えるキリスト教の団体がカンボジアで活動をしていた。現在の政治体制は宗教に対しては自由だ。
 プノンペンにあるカンボジア聖書協会で、総主事のヨス・エム・シタン夫人(Mrs. Yos Em Sithan)に会った。彼女は「以前に出版されていたクメール語の聖書は1954年にChristian and Missionary Alliance、CMA、クリスチャン・アンド・ミッショナリー・アライアンスによるものであった。その後(ポルポトによる内戦が終わってから)1998年にカトリックとの共同訳が完成して、現在、毎年10000部が出版され、国内のすべての教会がこれを用いている。わたしは1973年に非合法の家の教会で受洗して以来、厳しい政治情勢のもとで過ごした。89年以後、状況が変わって政府から公認されるようになったが1990年にはプノンペンにはただひとつの教会があったにすぎない」と語ってくれた。
 つまり一応の政治的安定が始まり海外からの援助によって国を建て直そうとしたとき、欧米のキリスト教伝道団体とキリスト教のNGOの活動が開始され、その大部分の活動は極めて保守的なキリスト教によるものであり、その活動はいわば「ライス・クリスチャン」あるいは「サンタクロース・プロジェクト」のようなものであるということである。
 今回、私がコンタクトを取ったのはこれらの教会ではなくカンボジア・クリスチャン・カウンセル(Kampuchea Christian Council、KCC)であった。この教会組織は35の伝道所をもつ自立したほんの15の教会で組織された協議会である。なぜこの協議会とコンタクトを取ったのかといえば、このKCCがカンボジアで唯一CCAに加盟しているからであり、またこの教会の群れが他の教会とは異なり、海外の教会、伝道団体の支援、援助によって成立して活動しているのではなく、カンボジア人によるカンボジア人のための教会を設立しようとしているからである。この教会は、子どもや学生へのミニストリーを重点的に行なって、自分たちの教会は自分たちの足で立つという自立の姿勢が明確である。このKCCのリーダーのイン・チュン(Eang Chhun)牧師はかつては医学部の学生であったが牧師になった。彼の案内で86歳のシェン・アン(Sieng Ang)牧師に会った。彼はポルポト時代にベトナムに亡命していた。突然の訪問であったがとても歓迎してくれ、手を取り合ってともに祈りの時をもった。
 このような困難ななかで、聖書は「あなたは奇跡を行われる神/諸国の民の中に御力を示されました」と告げる。これが祈りである。

「国家と宗教-中国のキリスト教」

イザヤ書60章1~4節

説教 原 誠 牧師

 中国のキリスト教についてその歴史と現在の状況について認識を深めたい。現在の中国の人口は14億人であるがキリスト教人口は1億3000万人だといわれている。人口の10%近い。中国の宗教政策は原理的に宗教を認めない。共産主義社会が完成すれば宗教は不要になるという見解だ。現在はその前の段階で一応その存在を認めるものの、国家による厳しい管理と統制の下に置かれている。この枠から逸脱したと考えられたら厳しい統制を受ける。しばらく前に「気功集団」が激しく弾圧されたことがある。チベット自治区のチベット仏教、ウイグル自治区のイスラムの人びとへの統制と弾圧、そして現在進行形である香港の統制、弾圧などを含めて、中国のキリスト教もこれらの諸問題と同様の状況にある。
 中国は宗教を仏教、イスラム、プロテスタントは基督教あるいは耶蘇教、カトリックは天主教という名称で管理している。またプロテスタントは政府の管理下にある教会と管理下にない「家の教会」が、カトリックの場合「地下教会」という存在がある。現在、キリスト教が1億人を超えたという数字は、これらを含めた教会の信徒の数だ。
 中国では「三自愛国運動」という宗教政策がとられている。これは「自治」「自養」「自伝」というもので、欧米のキリスト教団体とは関係せずに中国のキリスト教としてなら存在を認めるというものだ。これに参加しないということは未公認となる。中華人民共和国の成立後、キリスト教は迫害を受け、文化大革命の時代にキリスト教は批判の対象となって壊滅状態になった。その後、改革解放の時代が始まると経済発展が始まり、共産主義イデオロギーの絶対性が崩壊し、それに代わる精神的バックボーンとしてのキリスト教への関心が、特に都市部を中心に進展し始め、農村部や辺境の地域にも拡大していった。
 政府の宗教政策は時に寛容な面が示され、また別な局面では厳しく統制される。現在でも教会堂の焼き討ちなどは頻繁にある。そのことが時に「三自愛国教会」から離脱して「家の教会」に移る、あるいは逆に「家の教会」から「三自愛国教会」に移るということになる。
 わたし自身が経験したことでいえば、以前、南京の有力な大学の神学部を訪ねた後、わたしの行動は公安に完全にマークされていた。会った教授はそのことを公安に報告したからだ。また神学部の教授たちも、自分がキリスト者であるかどうか、どの教会に属しているかは同僚にも話していないという。また中国から同志社の神学部で学んでいた留学生は、中国の郷里に国際電話をしたとき、盗聴されていて北京語で話せと言われたと。このような政策が今も実行されているかどうかはわからないが、中国の教会は国家管理のもとにある。そこにはわたしたちが理解し認識している「信教の自由」、「政教分離」という原則そのものがない。
 イザヤは、バビロンの捕囚から解放されエルサレムに帰還した人びとが、これから破壊されたエルサレムの再建、神殿の再建について示された預言が語られる。「起きよ、光を放て」と。今、中国の未来についてわたしたちは語る言葉を持たない。しかしわたしたちには神の言葉、預言が示される。「信教の自由」、「政教分離」の深く認識したい。

2021年1月31日 | カテゴリー : 主日礼拝説教 | 投稿者 : サイト管理者

「わたしたちの間に宿られた」

ヨハネによる福音書1章14節-18節

説教 栗原 健 兄

 クリスマスから1か月になります。私たちは今なお、主のご降誕の喜びのうちに生きているでしょうか。それは、毎日の歩みに命を与えるものになっているでしょうか。
 『西部戦線異状なし』(レマルク作)という小説があります。第1次世界大戦の戦場に駆り出されたドイツ青年たちの悲哀を描いた反戦文学の傑作ですが、その中にこのような場面が登場します。主人公のパウル青年は、休暇を得て実家に戻ります。彼は、かつて自分を酔わせてくれた書棚の本を手に取り、再びその陶酔を味わおうとしました。しかし、いくらページをめくっても彼の心は動きません。生の現実、世のイデオロギーの空しさを味わい尽くした彼には、書物はただのおしゃべりにしか感じられなかったのです。「言葉だ、言葉にすぎない…」と彼は絶望します。
 聖書は「神様からのラブレター」だと言われます。しかし、これがもし遠い世界から送られたメッセージだけであれば、私たちもまた、世界の重い現実を前にして、「言葉にすぎない…」と絶望してしまうのではないでしょうか。
  このことを思う時、「言葉は肉となって、わたしたちの間に宿られた」(14節)の聖句が大きな力をもって迫って来ます。神が「彼らが私のもとに来られないのなら、私が彼らのもとに行こう」としてこの世界に来られ、私たちの1人となられた。私たちと共に歩まれ、十字架というドン詰まりまで生きられた。その先には復活がある。この知らせがあるために、私たちは自らの中、社会の中に巣食う暗闇を前にしても、なお希望をもって主に向かって歩み続けることが出来るのです。他者と支え合い、共に生きるために働くことが出来るのです。

2021年1月24日 | カテゴリー : 主日礼拝説教 | 投稿者 : サイト管理者

「人にしてもらいたいことは人にしなさい」

マタイによる福音書 7章7~12節

説教 伊藤 香美子 姉

 「人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。」 この聖句は、「測り知ることのできないほど価値のある理想的な倫理原則」、「キリスト教倫理の根本原理を最も適格に表現したもの」として、ヨーロッパでは18世紀以来「黄金律」と呼ばれています。似たような格言は世界中にいろいろありますが、この聖句のように肯定形ではなく、同じような意味で否定形のものもあって、私たちには「己の欲せざるところ、これを人に施すなかれ」(『論語』)はなじみ深いものです。
 この聖句の意味は明白で、ただ実行あるのみです。しかし、これを実行しようとするなら、私にとってこれほど難しい聖句はないのではないかとさえ思われます。先日もこの聖句を実行しようとして、大失敗してしまいました。私はその経験から人の思いを正しく悟ることができない人間であることを思い知らされ、その人に深くおわびし、神様に赦しを祈りました。
 神様の赦しの愛に励まされて、何とか人の思いを正しく悟り、それを実行できる人間になりたいと祈る日々です。

2021年1月17日 | カテゴリー : 主日礼拝説教 | 投稿者 : サイト管理者