ルカによる福音書24章13-35節
説教 栗原 健 兄
教会の創立記念日にあたる今日、「エマオへの道」の話を通じて、教会とはどのような存在であるかを考えてみましょう。「エマオ」の話を聞くと、私には思い出すことがあります。私が研究のためにドイツに滞在していた頃、バード・ガンダースハイムという町に行く機会がありました。この町に聖ゲオルク教会という小さな教会があるのですが、入口の扉に「エマオ」の場面が描かれていました。金色に染まった夕焼けの景色の中にイエスと2人の弟子の後ろ姿があり、下には、「一緒にお泊りください。もう日が暮れます」との言葉が添えられていました。おそらく17世紀頃に旅回りの画家が描いたのであろう拙い絵ですが、このイメージが不思議と私の心に残りました。
「エマオ」の話には、神の愛があふれています。復活を信じずにエルサレムを離れた2人の弟子たちを、主イエスは見捨てることなく後を追って行きます。姿を隠して彼らの前に現れたのは、彼らのホンネを聞きたかったからでしょう。面白いことに、文字数で言えばこの物語のメインは、イエスに促されて弟子たちが語った落胆と混乱の言葉です。ある意味、これは主イエスらしい話ではないでしょうか。主は私たちの痛み、失望、迷いに耳を傾けて下さいます。「それを話してほしい」と言われるのです。痛みを分かち合った後、御言葉が心にしみ入り、神の導きを知る。それは信仰の道そのものだと言えます。
こう考えると、教会はエマオの宿のようなところだと言えます。苦しみを分かち合い、御言葉を聞きつつ共に歩み、感謝して食を分かつ。その時に、主イエスが今まで自分たちと一緒に歩いて下さっていたこと、御言葉を通じて励まして下さっていたことを知る。神の恵みの内に歩んで来たことを思い出す。そこから力を得て再び旅路に出る。それこそが、私たちが教会に集う意味と言えます。殊に創立記念の日にはそのことが強く感じられますね。北教会も多くの試練を経て来ましたが、主が共に歩んで下さったことを思い起こし、力を得て旅を続けましょう。