「わたしたちの間に宿られた」

ヨハネによる福音書1章14節-18節

説教 栗原 健 兄

 クリスマスから1か月になります。私たちは今なお、主のご降誕の喜びのうちに生きているでしょうか。それは、毎日の歩みに命を与えるものになっているでしょうか。
 『西部戦線異状なし』(レマルク作)という小説があります。第1次世界大戦の戦場に駆り出されたドイツ青年たちの悲哀を描いた反戦文学の傑作ですが、その中にこのような場面が登場します。主人公のパウル青年は、休暇を得て実家に戻ります。彼は、かつて自分を酔わせてくれた書棚の本を手に取り、再びその陶酔を味わおうとしました。しかし、いくらページをめくっても彼の心は動きません。生の現実、世のイデオロギーの空しさを味わい尽くした彼には、書物はただのおしゃべりにしか感じられなかったのです。「言葉だ、言葉にすぎない…」と彼は絶望します。
 聖書は「神様からのラブレター」だと言われます。しかし、これがもし遠い世界から送られたメッセージだけであれば、私たちもまた、世界の重い現実を前にして、「言葉にすぎない…」と絶望してしまうのではないでしょうか。
  このことを思う時、「言葉は肉となって、わたしたちの間に宿られた」(14節)の聖句が大きな力をもって迫って来ます。神が「彼らが私のもとに来られないのなら、私が彼らのもとに行こう」としてこの世界に来られ、私たちの1人となられた。私たちと共に歩まれ、十字架というドン詰まりまで生きられた。その先には復活がある。この知らせがあるために、私たちは自らの中、社会の中に巣食う暗闇を前にしても、なお希望をもって主に向かって歩み続けることが出来るのです。他者と支え合い、共に生きるために働くことが出来るのです。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です