テモテへの手紙II 2章8~13節
説教 原 誠 牧師
今朝はベトナムの教会の歴史と現在について、そしてどのような政治状況のなかにあっても「神の言葉はつながれていない」というみ言葉の意味を知りたい。
わたしは17年前と2年前の2度、ベトナムの教会を訪れました。ベトナムでは戦争が終結して共産党一党支配のもとにありますが、今もなお二つのプロテスタント教会が存在しています。ベトナム福音教会(南)(Evangelical Church of Viet-Nam, South)ともう一つはベトナム福音教会(北) (Evangelical Church of Viet-Nam, North)です。
フランスの植民地であったベトナムには各地にカトリック教会があります。しかし少数ですがプロテスタントの教会がります。
南に成立していたプロテスタント教会は15年前の状況でいえばベトナム福音教会(南)には318教会と45の伝道所、1148人の牧師23人の引退牧師がおり、644人の神学生が学んでいました。神学校の校長レ・ヴァン・ティエン博士によれば、ベトナム戦争の時代について「教会は政府に忠誠を誓い、教会として政府の政策に反対することはなかった。教会は政治に関与しなかった。政治的に教会が巻き込まれないことが愛国主義だったのであり、政治的混乱に巻き込まれることが非愛国主義だったのだ。だから教会としてはイエス・キリストの救いと福音を説き明かし、それを実践するということが基本であった。だからクリスチャンや教会は社会の中で認められる存在でした」といいます。
しかしベトナム統一後、教会は政府によって大きな試練を受けました。礼拝を守ることは認められましたが神学校、社会福祉活動、学校、病院などはすべて政府のもとに置かれ、あるいは閉鎖されました。
資本主義の側に立っていたと認識された人びとは再教育キャンプに送られ、厳しい困難な生活を強いられました。教会からは1000家族をこえる人々が地方に送られました。そのうちキン・テー・モイのキャンプはクリスチャンが多かったので、キャンプの中でいくつかの教会が設立され、1000をこえる礼拝所が開設されました。また200人の指導的信徒によって12万~18万の人々が信仰の指導を受けたのでした。レ・ヴァン・ティエン博士は、この状況について、端的にわたしたちは「献身、奉仕、苦難を分かち合ったからだ」と述べています。1991年に政府によって教会活動が承認されるようになりましたが、まったくの自由が与えられているわけではありません。
ホーチミンの郊外にあるヘット・プー教会では多くの青年が出席していました。信徒数500人、受洗者は年に15人程度だといいます。個人の入信に際しては、当然、家族や周囲とトラブルが起こるので公表しないで受洗するケースや、たとえ洗礼を受けなくても心はキリスト教という青年も大勢いるといいます。 この状況のなかにあってもパウロの「しかし、神の言葉はつながれていません」という言葉が示されます。圧倒的な困難ななかにあって、それでも希望を失うことなく、慰めが与えられ、ベトナムにおいてもイエス・キリストの福音が宣べ伝えられているのです。