「小さくても大きい」

創世記1章31節前半
マルコによる福音書10章13~16節

説教   大久保 直樹 教師 (宮城学院中学・高等学校 宗教主事)

 「神はお造りになったすべてのものを御覧になった。見よ、それは極めて良かった。」(創1.31)神によって一人ひとり、皆等しく、「極めて良い者」として創られた、命与えられているのがわたしたちです。そしてその命=わたしたちには一人ひとり使命がある、必ず。前任校の卒業生のご長男は生後間もなく天に召されました。しかし、彼はその命をかけて、お腹に宿った頃から彼の使命(命の尊さと生きる意味を伝えること)を果たしていたのだと思いますし、現在も果たし続けてくれているのだとわたしは信じています。

 「子どもたちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。」(マルコ10:13)幼ければ幼いほどただただ親をはじめとする他者に依存するしか生きてゆくことはできない。そこにわたしたちに求められる謙虚さを重ねて見るのです。神の一方的な愛・恵みによって生かされるわたしたちが、ただひたすらに神に感謝し謙虚な心で生きようとするとき、神の国に入れられる、キリストによる平和な世に生きるものとされるのです。抱きかかえられ祝福されるのはわたしたちでもあるのです。ときに自分自身が本当に弱く小さく思うこともあるかもしれません。自分の存在意義が見えず、生きる意味が分からず、自分はなぜ生きているのだろう…などと思い悩み苦しむこともあるでしょう。誰にも頼れず、誰をも信じることもできない、真っ暗な闇の中にいる、…そんなわたしたちを「抱き上げ、手を置いて祝福」してくださるのです。この神の一方的な愛、主イエス・キリストの大いなる恵みの愛を注がれているわたしたち一人ひとりは、尊い存在とされて祝福されているのです。わたしたちはとかく、人間の物差しによって、目に見えるものを比較し、そのことがあたかも人の価値を決めるかのような思いを抱いてしまいます。劣等感から人を羨んだり、逆に優越感を持って人を蔑んだり…。そんなわたしたちのこの世的な価値基準によれば、たとえ小さくて弱い存在であったとしても、実は神の目から見れば、皆等しくとてつもなく大きな存在であり、極めて良い存在・尊ばれている存在なのです。一人ひとり生きる意味があることを心に刻みたいと思います。 

2020年10月25日 | カテゴリー : 主日礼拝説教 | 投稿者 : サイト管理者

「タイの山奥のクリスチャン」

詩編72編1~7節

説教 原 誠 牧師

 わたしはこれまで約30年、毎年、タイに学生と一緒にスタディ・ツアーを行ってきました。このプログラムのなかで一番大切なことはタイ北部のミャンマーとの国境に近いジャングル地帯に住んでいる少数山岳民族のクリスチャンの村を訪ね、共に礼拝することです。タイは仏教に基づいた王国で憲法で信教の自由は保証されていますが、プロテスタントは0.3パーセント、30万人です。タイのキリスト教は教会や学校や病院を設立し、近代化に寄与しましたが日本と同じく少数派です。しかし北タイの山岳民族のなかでは状況が違います。北タイのジャングルのなかに80万人を超える少数山岳民族が生活しています。その民族とはカレン、ラフ、モン、ヤオ、リス、アカなどで、山の中に部族ごとにいわばモザイク状態で生活しています。タイの国籍を持たない彼らはタイ政府の対象ではありませんから電気や水道はなく、学校も病院もありません。ですから政府にとってみれば不法滞在者ということになります。この80万人の中の40パーセントがクリスチャンで、その数は30万人を超えます。わたしたちはその村に泊めてもらい、農作業を手伝い(邪魔をし)、雨水のシャワーや紙なしのトイレを経験します。近年は政府によってソーラーバッテリーが配布されるなど急激な変化が起こっています。
 日曜日には朝7時に女性だけの礼拝を、10時半には村人全員で礼拝を行います。礼拝のための音楽はギターです。聖書は全員に行き渡らないし読めない人も多いので、礼拝のなかでは全員で聖書箇所を朗読します。聖餐式はブドウジュースとビスケットで行います。午後3時に村の子どもたちだけの礼拝です。日曜日は一切仕事をしないで文字通り安息日、神と共に過ごす日として過ごします。
 近年は換金作物を作り市場に出荷します。平均的な年収は4~5万円です。教育を受けたことがない親たちは子どもたちには教育の機会を与え、タイ国籍が取れるようにしようとします。だから子どもたちはタイの町や村で寮生活をして地元の学校に通わせます。
 どうして彼らはクリスチャンになったのでしょうか。その伝道は集団改宗によるものです。伝道に何度も失敗した宣教師は、村の長やシャーマンらと語り合いそして合意をした上で、村ごと洗礼を受けてクリスチャンになります。宣教師が伝えるメッセージはキリスト教の神は「愛であ」り、神は人びとを呪わない、これが本当の神だ、愛は解放だということです。またクリスチャンになれば学校や病院を作る、キリスト教になれば結納なしに結婚できる。こうしてジャングルのなかに村ごとにモザイク状況でキリスト教が広まったのです。
 日本とは異なった状況のなかでの伝道は、近代化とか教養ということではなく、直接、魂に呼びかける直截なものでした。 「山々が民に平和をもたらし/丘が恵みをもたらしますように」。

2020年10月18日 | カテゴリー : 主日礼拝説教 | 投稿者 : サイト管理者

「私は動かない」

イザヤ書 30章15節

説教 新免 貢 教師

 1955年12月1日、アメリカ合衆国、アラバマ州、モントゴメリーで、ある黒人女性が百貨店での裁縫仕事を終え、その帰り道、バスに乗りました。彼女は空いていた白人用座席に座りました。途中で白人男性の乗客がバスに乗り込んでくると、バスの運転手は、席を譲るように命令しました。彼女は「いいえ、私は動かない」と言って拒否しました。人種隔離政策違反を理由に、当時43歳の彼女は警察署に連行されました。彼女の名前はローザ・パークスです。逮捕から3か月後、ローザ・パークスは、運転手の命令に従わなかった理由をこう説明しました。「とにかく、一日中働いてカラダがへとへとに疲れていました。座席から離れるように言われても、たまたまそれに従う気になれなかったというだけのことです」。

 難しい理屈ではなく、誰にでもわかる明確な理由です。彼女の逮捕がきっかけとなって、バス・ボイコット運動が起こりました。白人と黒人をごちゃ混ぜに乗せたバスを、ワシントンD. C.から南部のニューオリンズに走らせるフリーダムライド運動も起こりました。人種差別主義者たちはバスに放火し、黒人を木につるして殺しました。これらの恐ろしい場面が映像を通して全米、全世界に伝えられ、多くの人たちが良心を呼び覚まされ、黒人たちの運動に関心を持つようになりました。

 不自由な足を引きずりながら歩いている年老いた黒人女性は、こう言いました、「私は自分のために歩いているのではない。子供と孫のために歩いているんです」。こういう崇高な言葉は、難しい本を読むことによってではなく、居ても立っても居られない状況から生み出されます。多くの心ある市民たちが立ち上がって、公民権法が成立しましたが(1964年)、人種差別は今もなお根強く残っています。こうした状況が、太平洋を隔てて、日本にいる私たちの現実ときっちりつながっているはずです。「私は動かない」は「私の信念は揺るがない」という言葉でもあります。それは世の中に変革の希望をもたらす良い言葉です。ローザ・パークスという普通の女性がそれを証明してくれました。私たちもローザ・パークスの一人となることができます。

2020年10月11日 | カテゴリー : 主日礼拝説教 | 投稿者 : サイト管理者

「無宗教を認めない国-インドネシア」

コリントの信徒への手紙Ⅱ 6章1~10節

説教 原 誠 牧師

 日本では宗教については匿名性が保証されていますが、インドネシアでは身分証明書に宗教を記載することが求められます。無宗教ということは共産主義と見なされるからです。一般的にはインドネシアはイスラムの国と思われていますが、イスラムは90%、カトリックが2~3%、仏教が1~2%、プロテスタントは5~6%で信徒数は1400万人を数えます。そしてこれらはそれぞれの地域住民、部族と深く密接な関係にあります。そして政府は宗教を公認し、国民はどれかの宗教に属さなければなりません。公認の宗教はイスラム、ヒンズー、仏教、カトリック、プロテスタント、そして最近、儒教がこれに加わりました。

 どうしてこのような政策になるのでしょうか。インドネシアはオランダの植民地でした。簡単に言えばイスラムが強固な地域にはキリスト教は入ることはできませんでしたがアニミズムの地域にキリスト教が広がりました。そこでは国教であったオランダ改革派のオランダ人牧師が働きました。国教ということは、ひとつの国家にひとつの宗教ということです。そこではオランダ人の牧師が不在の時にはインドネシア人伝道者は説教することができず、オランダ人牧師が準備した説教を「代読」しました。インドネシア人はGuru Agama(宗教教師)という身分でした。

 そのような植民地時代の教会も1920年代にオランダの教会から独立し、インドネシア人による教会の歩みが始まりましたが、それが実質化しない内に太平洋戦争が始まり、日本軍による軍政が始まりました。日本軍は敵性宗教であるキリスト教の活動を禁止し、教会は非常に困難ななかに置かれました。

 太平洋戦争後、インドネシアはスカルノ大統領のもとでオランダから独立しました。彼は米ソ対立の世界情勢のなかでアジア・アフリカという第3の勢力を作ろうとし、それは共産主義も容認するものでした。そして1965年のクーデターでスカルノは失脚し、今度はスハルトが大統領になり、彼は明確な反共政策をとりました。宗教を持たないということは共産主義者というわけです。

 この時代に属する宗教を明示することが求められ、それまで部族宗教を信じていた人びとはカトリックやプロテスタントなどに集団改宗しました。そもそもインドネシアは300に及ぶ部族によって形成される国家です。つまり純粋なインドネシア民族ではなく300の多様な部族、言語、文化をもつ人たちによる多民族国家であり人工国家です。だからインドネシアの国是はBinneka Tungal Ika(多様性のなかの統一)といいます。

 最大多数のイスラムは一般的には穏健な多様性を認めますが、一部にインドネシアをイスラム教の国教にしようとする運動もあります。これをDarul Islam(ダルル・イスラム)といいます。政府はこれを統制しようとし、少数の宗教を保護しようとします。国家によって教会は守られているのです。しかし逆にキリスト教の教えに基づいて教会の立場を鮮明にしようとするとき、教会は批判しにくくなります。

 インドネシアの教会は、この状況のなかで「誠実であり、人によく知られ、生きており、殺されてはおらず、悲しんでいるようで、常に喜び、多くの人を富ませ、すべてのものを所有している」といえます。

2020年10月4日 | カテゴリー : 主日礼拝説教 | 投稿者 : サイト管理者