イザヤ書60章1~4節
説教 原 誠 牧師
中国のキリスト教についてその歴史と現在の状況について認識を深めたい。現在の中国の人口は14億人であるがキリスト教人口は1億3000万人だといわれている。人口の10%近い。中国の宗教政策は原理的に宗教を認めない。共産主義社会が完成すれば宗教は不要になるという見解だ。現在はその前の段階で一応その存在を認めるものの、国家による厳しい管理と統制の下に置かれている。この枠から逸脱したと考えられたら厳しい統制を受ける。しばらく前に「気功集団」が激しく弾圧されたことがある。チベット自治区のチベット仏教、ウイグル自治区のイスラムの人びとへの統制と弾圧、そして現在進行形である香港の統制、弾圧などを含めて、中国のキリスト教もこれらの諸問題と同様の状況にある。
中国は宗教を仏教、イスラム、プロテスタントは基督教あるいは耶蘇教、カトリックは天主教という名称で管理している。またプロテスタントは政府の管理下にある教会と管理下にない「家の教会」が、カトリックの場合「地下教会」という存在がある。現在、キリスト教が1億人を超えたという数字は、これらを含めた教会の信徒の数だ。
中国では「三自愛国運動」という宗教政策がとられている。これは「自治」「自養」「自伝」というもので、欧米のキリスト教団体とは関係せずに中国のキリスト教としてなら存在を認めるというものだ。これに参加しないということは未公認となる。中華人民共和国の成立後、キリスト教は迫害を受け、文化大革命の時代にキリスト教は批判の対象となって壊滅状態になった。その後、改革解放の時代が始まると経済発展が始まり、共産主義イデオロギーの絶対性が崩壊し、それに代わる精神的バックボーンとしてのキリスト教への関心が、特に都市部を中心に進展し始め、農村部や辺境の地域にも拡大していった。
政府の宗教政策は時に寛容な面が示され、また別な局面では厳しく統制される。現在でも教会堂の焼き討ちなどは頻繁にある。そのことが時に「三自愛国教会」から離脱して「家の教会」に移る、あるいは逆に「家の教会」から「三自愛国教会」に移るということになる。
わたし自身が経験したことでいえば、以前、南京の有力な大学の神学部を訪ねた後、わたしの行動は公安に完全にマークされていた。会った教授はそのことを公安に報告したからだ。また神学部の教授たちも、自分がキリスト者であるかどうか、どの教会に属しているかは同僚にも話していないという。また中国から同志社の神学部で学んでいた留学生は、中国の郷里に国際電話をしたとき、盗聴されていて北京語で話せと言われたと。このような政策が今も実行されているかどうかはわからないが、中国の教会は国家管理のもとにある。そこにはわたしたちが理解し認識している「信教の自由」、「政教分離」という原則そのものがない。
イザヤは、バビロンの捕囚から解放されエルサレムに帰還した人びとが、これから破壊されたエルサレムの再建、神殿の再建について示された預言が語られる。「起きよ、光を放て」と。今、中国の未来についてわたしたちは語る言葉を持たない。しかしわたしたちには神の言葉、預言が示される。「信教の自由」、「政教分離」の深く認識したい。