エフェソの信徒への手紙 6章18~20節
説教 伊藤 香美子 姉
先日バスに乗ったとき、学生さんに席を譲られ、初めての経験で一瞬戸惑いましたが、「ありがとう」と感謝して座りました。一昨年、後期高齢者となり、日々自己の老いを自覚しているつもりでしたが、正直なところショックでした。しかし 、これからは自己の 老いをしっかり受け止めて、キリスト者としていかに老いを生きるか を考えねばと思いました。 その時、ヘルマン・ ホイベルス神父の「最上の業」に出会い、大きな希望を与えられました 。
今若い人も必ず老います。共に「最上の業」を学びましょう。
最上の業 ヘルマン・ホイベルス神父 この世の最上の業は何? 楽しい心で年をとり、働きたいけど休み、失望しそうなときに希望し、 従順に平静に己の十字架を担う。 若者が元気いっぱいで歩むのを見てもねたまず、 人のために働くよりも、謙虚に人の世話になり、 弱っても、もはや人の為に役立たずとも親切で柔和であること。 老いの重荷は神の賜物。 古びた心にこれで磨きをかける。真の故郷に行くために! 己をこの世につなぐ鎖を少しずつはがしていくのは真にえらい事。 こうして何もできなくなれば、それを謙虚に承諾するのだ。 神は最後に一番良い仕事を残してくださる。 それは祈りだ。 手は何もできない。けれど最後まで合掌できる。 愛する全ての人の上に神の恵みを求める為に。 全てをなし終えたら臨終の床に神の声を聞くだろう。 「来よ、わが友よ、われ汝を見捨てじ」と言い。 |