「メシアが来る」

ダニエル書7章13-14節
マルコによる福音書14章61-65節

説教 北 博 兄

 メシアとは、旧約聖書のヘブライ語で「油注がれた者」という意味である。古代イスラエルにおいて、ある人物がクーデターかそれに近い方法で王となるよう命じられる時、象徴行為としてその人物の頭に油が注がれた。閉塞状況を武力で打破し、正義をもたらすメシアが待望された。ダニエル書7章はユダヤ教に対する大迫害の中で書かれ、天の雲と共に現れる「人の子のような者」の正体は、将来への期待また問いとして残された。
 イエスが宣教活動を開始するのは、ローマの支配からの解放者メシアを待望する空気の中であった。ところがイエスは、期待に反してあっけなく逮捕され、十字架刑に処せられて息絶えてしまう。弟子達は皆イエス逮捕の時点で逃げ去ってしまう。ところがこの頃から、弟子達の間で「イエスは甦った」という噂が広まり始める。「甦った」ということの最も深い意義は、十字架刑という非業の死を遂げたイエスが神に肯定されたということである。弟子達は、イエスの十字架上の死がイザヤ書53章の預言の成就であり、苦難の僕こそ真のメシアの姿であると確信し、「イエスこそメシアである」と言い始める。メシアはギリシア語でキリストであり、彼らはローマ世界で「イエスこそキリスト」と告白するようになり、キリスト者と呼ばれるようになった。従って、教会は十字架の死を遂げたイエスをキリストと告白する者達の群れである。しかしそれは、いばらの道の始まりでもある。私達は再臨の主を待ち望みながら、今を耐え忍びつつ待望の生を生きるのである。

2020年7月26日 | カテゴリー : 主日礼拝説教 | 投稿者 : サイト管理者

「福音の力-教会の奇跡」

ローマの信徒への手紙12章9~18節

説教 原 誠 牧師

 教会は奇跡を起こす。神の言葉は、何者によっても制約されない。それをわたしはラオスのヴィエンチャンの教会で見た。

 ベトナム戦争後に成立したラオス人民民主共和国は共産党一党独裁の国で、人口が約700万人で国民の60パーセントは上座部仏教の信徒だ。少数山岳民族のなかにキリスト教徒がいたが、多くはベトナム戦争時代にアメリカ軍の傭兵となって軍事的に利用された。戦後、共産党政権は仏教を含めて宗教活動を禁止し、共産主義を嫌うキリスト教徒を含む多くの人びとが共産主義を嫌って国外に脱出した。17人いた牧師もそうだ。一人残った牧師は刑務所に入れられた。

 ヴィエンチャンの教会のカンペーン牧師は、一人残って刑務所に入れられた牧師の甥である。礼拝ではタイ聖書協会がラオ語の聖書を出版したものを贈られて朗読し、讃美歌はOHPを用いてラオ語でラオのメロディで歌われる。わたしが「教会の奇跡」というのは、驚くべきことにこの状況のなかで、毎年5000人が受洗してクリスチャンになっている、ということなのだ。一度、壊滅した教会が再生している。

 教会のなかでしか活動(礼拝)を認められない状況のなかで、信徒たちは日々の暮らしの只中で、地域の知人・友人に伝道し、教会に連れてくる。信徒が地域のリーダーとなっている。その礼拝は聖霊に満ちたものであった。わたしが言葉を交わした一人の信徒は ラオス国立大学の教授で共産党員であって教会の信徒リーダーとなっていた。

 カンペーン牧師の話によると、最貧国のひとつであるラオスでも家庭内暴力、飲酒、DVがあるものの仏教寺院は人びとの日々の暮らしの現実に対してメッセージをもたない、人びとが福音を求めていると。だから教会は「慰め」「癒し」「希望」の説教を語るのだと。そして教会の重要なプログラムは礼拝後の「仲間の連帯」(フレンドシップ・ランチョン)だという。 社会でのキリスト教活動が公認されていないなかでアメリカのキリスト教団体はラオス人の牧師をダミーで派遣し、NGOの活動として子ども、母親、保健衛生などの活動を展開している。カンペーン牧師は「信徒が信徒を生むのだ」という。 わたしが冗談ぽく「羊飼いは羊を生めない、羊が羊を生む」というと、その通りだといった。一度、壊滅状況に置かれたラオスの教会はよみがえった。

 ラオスにおいて教育レベル、経済状況、政治の制度は厳然としてあるものの、それらを超えて福音は生きて、その出来事が実現していた。2度目の2018年には、以前にあった会堂は火事で消失したが以前にも増して大きな新しい会堂が完成しており、さらに新しい教会の建設がすすめられているという。 福音の力は、教会に奇跡を生み出す。ここにわれわれの信仰がある。

2020年7月19日 | カテゴリー : 主日礼拝説教 | 投稿者 : サイト管理者

「キリストの受難(1)」

マタイによる福音書26章 1~13節

説教 伊藤 香美子 姉

 新型コロナウイルスの感染拡大防止のため出されていた「緊急事態宣言」が解除されて、約1カ月半が経ちましたが、まだまだ気を緩めることなく、第二波の感染拡大が起きないように、充分注意して生活しなければなりません。あの宣言のもとで、私たちは日常生活のいろいろな面で自粛を要請されました。また、旅行や様々な文化活動やスポーツ大会等が中止になる、もしくは延期になるという残念な経験もしました。あの時、私にとって非常に残念だったことは、5月5日に予定されていた、私の大好きなバッハの信仰告白ともいうべき「マタイ受難曲」(マタイ26:1~27:66に記された「イエスを殺す計画」から「イエスの埋葬」までをテキストにして作曲された)の演奏会が来年に延期されたことです。この曲の演奏会は、私の知る限り、毎年この時期に東京等で開催されていますので、来年に延期とは今年は中止ということで、毎年楽しみにしていただけに、とても残念でした。

 しかし、このように予定されていたことが中止、または延期になるという状況は、あの宣言が解除された今も続いていますし、海外においても同様です。私は昨年、後期高齢者になりましたので、今年の8月に予定されていたドイツ旅行を、最後のチャンスになるかもしれないということもあって、とても楽しみにしていました。ところが、この旅行も2年後に延期になりました。しかし、中止ではなくて2年後の延期で、「よかった!」と心の底から喜びました。その理由は、この旅行はドイツのオーバーアマガウという村(アルプス山麓にある小さな村)で、10年に一度上演される「キリスト受難劇」を鑑賞するのが主な目的の旅行だからです。これが今回中止になって、次の上演が10年後の2030年ということになれば、その時、私はまだ生きていたとしても、もう86歳ですから、オーバーアマガウに行って、この「キリスト受難劇」を鑑賞するのは恐らく無理でしょう。ですから「2年後に延期」で本当によかったと思いました。2年後ならまだ大丈夫、自信が有ります。

 実は、10年前の2010年に、私はオーバーアマガウに行ってこの「キリスト受難劇」を初めて鑑賞して、とても感動しました。そこで、また10年後、すなわち2020年の今年、ぜひもう一度鑑賞したいと願いながら、それを楽しみに、この10年間を過ごしてきたといっても過言ではありません。

 オーバーアマガウの「キリスト受難劇」は今からおよそ400年前、1634年に始まりました。その前年の1633年に、ペストがヨーロッパ全域で猛威をふるい、何十万人もの犠牲者が出ました。まさに今のコロナのようです。ちなみにコロナの犠牲者は昨日の7月11日で、554,989人と新聞に載っていました。当時のヨーロッパでは人々はペストをどんなに恐れたことでしょう。オーバーアマガウの村民は、ペストが村に蔓延すれば大勢の犠牲者が出て、村が絶滅してしまうのを恐れて、そうならないように神様に祈りました。「神様、もしペストによって村が絶滅することから救ってくださるなら、感謝の印として、私たちの主イエス・キリストの受難劇を今より世の終わりに至るまで、10年毎に上演いたします。」するとこの日を境として、ペストによる犠牲者は、全くいなくなったと、村の年代記に記されています。そして翌年の1634年のペンテコステに、村民は「キリスト受難劇」を初めて上演しました。それが今日まで途絶えることなく続いていて、1680年からは西暦で終わりが0になる年毎に上演しています。

 私が鑑賞した10年前の2010年の記録によりますと、上演期間は5月15日から10月3日まで、上演回数は102回、1回の上演時間は約5時間、劇の参加者の合計は約2,150名(すべて村民で、村の人口の半数)でした。

 「科学の進歩と共に信仰は廃れる」と言われて久しい中、純朴な信仰に生きるオーバーアマガウの村民の信仰告白ともいえる「キリスト受難劇」は、信仰がもたらすまことの希望を与えてくれます。私は2年後を期待して待ちながら、日々の信仰生活に励みたいと思います。 キリストの受難は私たちの信仰の原点であり、受難曲と受難劇は私たちに信仰の奥義を深くかつ分かりやすく悟らせてくれるものです。

2020年7月12日 | カテゴリー : 主日礼拝説教 | 投稿者 : サイト管理者

「主は羊飼い」

詩編23編  1~6節

説教 原 誠 牧師

 困難な状況のなかで7月を迎えた。日常と非日常、当たり前とそうでない状況の日々が続く。そして事柄は凝縮して、濃密に、弱さ、弱者にしわ寄せされていくことが明らかとなってきた。そのなかで、教会とは、信仰とは、ということにわたしたちは集中する。
 わたしはこれまで30年間以上、学生と一緒にタイ・スタディ・ツアーを行ってきた。そのなかのひとつのことを紹介する。太平洋戦争下のタイの捕虜収容所のなかで生まれた教会のことだ。太平洋戦争中、日本軍はタイとビルマ(現在のミャンマー)のジャングルに鉄道を建設した。この工事に連合軍の捕虜約3万人などがかかわった。現在、当時の収容所を再現した博物館がある。竹と藁でできたものでその名前はJEATHミュージアムという。DEATH (死)に引っかけたものだ。その意味はジャパン、イングランド、オーストラリア、タイ、ホーランドだ。
 このなかを生き延びたゴードンというイギリス陸軍の将校が書き残した『死の谷を過ぎて-クワイ河収容所』という本がある。彼は将校となりシンガポールに派遣されて日本軍につかまり、ここに送り込まれた。過酷な労働、不足する食料、医薬品。熱帯での伝染病、加えて捕虜のなかでの人間関係など、一言でいえば文字通り極限状況のなかに置かれた。そして、追い詰められて人間の本質が浮き彫りになっていく。
 そのなかでゴードンは、驚くべきことを報告している。収容所のなかで教会が生まれたいうことだ。そのなかで聖書を読み学ぶグループが生まれた。このグループのリーダーとなった。参加したのはかつてメソジィスト、バプテスト、監督、長老、組合教会に属していた信徒も無神論者もいた。もちろん自由参加だ。彼は記している。
「教会というものを定義してみると、私たち大方の見方では、次の三種の教会があることになる。まず第一。規則、儀式、書物、長い座席、説教壇、大理石、尖塔があって成り立つ教会。次に、教義要綱や教義問答集や神学教授からなる教会がある。最後に、霊の教会がある。この教会は、すなわち神の愛の働きかけに対する喜びの応答である。その応答として存在する教会である。その教会は、世俗世界からその外側へ呼び出されて、しかも世俗世界の中にあって生きるようその内側に送りこまれて、存在する教会である。そこにあるのは神聖な人間キリストがそしてその子らが存在している雰囲気である。キリストの愛があるところならどこにでも存在するという教会が霊の教会である。私たちのは霊の教会であった。この教会が捕虜収容所に対して生命を与え、収容所と単なるひとの群集-恐怖におののく個人の群!を、控え目に言っても大きく変革させていた中心な目である。」(要約)
 この教会の礼拝で一番よく歌われた讃美歌が、「主はわがかいぬし」だった。
 彼は生き延びてイギリスにもどり、その後、アメリカのプリンストン大学神学部で神学を学び、牧師となった。
 わたしたちの信仰は、今、圧倒的に困難ななかにあって聖書の言葉が「再読」されて、わたしたちの教会が、信仰がある、ということを知りたい。