「真珠を求めているのは誰?」

マタイによる福音書13章44‐46節

説教 栗原 健 兄

 聖書を読む時に大切なことは、すぐに「反省」の材料を探そうとするのではなく、自分に対する神の愛、恵みの告知をじっくり探すことです。今日の聖書箇所、「畑の宝」「高価な真珠」のたとえを読むと、私たちは、「この宝を見つけた人や商人のように、私は神のために全てを捧げる生き方をしているだろうか。十分していない。反省!」となりがちです。しかし、その前にこのたとえをよく味わってみましょう。
「神の国」とは、「神と人が正しい関係にある状態」です。主イエスを知り、主が望むように生きようとしている状態を指すと言うことが出来るでしょう。そう考えると、このたとえは主イエスとの2種類の出会いを描いていることが分かります。「畑の宝」は、自ら強く求めていなくても突然恵みによって主に導かれる形。「高価な真珠」は、熱心に真理を探求した末にたどり着く形です。
 ここで、このイメージをぐるっとひっくり返してみましょう。確かに、私たちにとって主イエスは宝であり真珠です。しかし、主もまた私たちのことを宝のように見て、高価な真珠のように私たちを必死に探し求め、そのために全てを投げ打ちました。そのことを示すのが、主の十字架です。そのように求められ、愛されているからこそ、私たちも主イエスに出会い、その歩みに魅了され、神のために生きる者となるのです。同じように主に愛されている他者とも連帯して行けるのです。来週から始まるアドベントを前に、この恵みをまず目の前に置きましょう。

「共に悩み共に喜ぶ-台湾の教会」

コンリトの信徒への手紙I 12章26節

説教 原 誠 牧師

 今年10月4日の週報に、東北教区と台湾基督長老教会嘉義中会から宣教協力に基づいて、マスクが1万枚届けられたことが報告されています。教団と台湾基督長老教会、東北教区と嘉義中会とはどのような関係があるのか、歴史を振り返ってみましょう。
 太平洋戦争後、東アジアでは大きな変動があり、台湾はその渦中におかれました。49年に本土が共産化したことによって台湾には蒋介石の国民党が移動してきて戒厳令が敷かれました。そのなかには多くのキリスト教徒もいたのです。台湾にはもともと台湾にいた人びと(本省人)88パーセント、本土からきた人びと(外省人)が12パーセントでした。台湾の人口は2500万人でキリスト教徒(プロテスタント)の数は80万人、そのうち最も強力な教会が台湾基督長老教会で信徒数15万あまりでした。台湾基督長老教会には22の教区(中会)があり、その内訳は台湾人(本省人)の信徒が35パーセント、外省人の信徒が35パーセントです。22の教区(中会)のなかには先住民の教区(中会)が11あり、信徒数は30パーセントです。多様な歴史的、文化的、民族的背景を持っていました。国民党が台湾にきてから蒋介石は厳しい反共政策を取りましたが、このとき資料によれば5000人が虐殺されました。また教会の牧師、伝道師、キリスト教学校の校長、台湾大学の教授なども共産主義者と見なされて虐殺されました。
 こうした厳しい思想統制の時代のなかにあっても、台湾基督長老教会は、徐々に本省人と外省人の隔たりを超えて、また先住民の教会を含めて、台湾人としてのアイデンティティを形成しようとする教会となっていきました。
 1971年の米中国交回復という出来事は台湾にとって衝撃でした。台湾は世界から見捨てられようとしたからです。台湾基督長老教会は世界教会協議会(WCC)に加盟していましたが、WCCが中国の国連加盟支持の立場を取ったために、台湾基督長老教会はWCCを脱退しました。このとき台湾基督長老教会は1971年に「国是声明」という特別な声明を出しました。これはキリスト者の社会的責任に関して、台湾の将来は台湾すべての住民によって決定されなければならない、人権は神によってのみ祝福される、そして台湾で総選挙がなされなければならない、というものでした。教会はこの声明によって政府から厳しい統制を受けました。さらに1975年には「われわれの呼びかけ」という宣言を発表しました。そして1977年にアメリカが中国はひとつという政策を発表した時にも、台湾基督長老教会は「台湾基督教会人権宣言」を発表しました。この状況のなかで高俊明総幹事は逮捕、投獄されました。「人権宣言」を発表したとき、参加者した代議員は宣言文を隠し持ってそれぞれの教会にもどり、翌週の聖日礼拝のときに一斉に「人権宣言」を公表したといいます。
 日本基督教団は一貫して台湾の教会と連帯の立場をとり続け、共に歩む姿勢をとり続けました。それが今回の「支援のマスク」となりました。
「一つの部分が苦しめば、すべての部分が共に苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、すべての部分が共に喜ぶ」という、主にある連帯は国家を超えて存在していることを知りたいと思います。ここに神の主権が主権があります。

「絶望から希望へ」

ヨブ記6章14~26節

説教 伊藤 香美子 姉

 前回(9月13日)の主の日の礼拝で、「絶望は罪です」としめくくりました。今回は、絶望について考えてみたいと思います。

 前回でも述べましたが、私は中高大学時代、自分の罪に絶望して長い間悩み苦しみました。その苦しみの中で、大学時代にデンマークのキリスト教思想家キルケゴールと出会いました。彼は幼い頃から父親より厳しいキリスト教教育を受けて育ち、若い頃に絶望して苦しんだことがあることを知り、私は非常に親近感を覚えました。

 キルケゴールによれば、罪の自覚はキリスト教信仰の前提であること、また彼は絶望について「神を離れた人生の本質はすべて絶望である」と述べ、絶望が神の前において意識されるとき、「絶望は罪である」と述べています。そして、現代人の精神の病として普遍化している絶望について、彼自身が絶望して苦しみ、それを克服した境地から絶望を見つめ、人間が陥る絶望の諸現象を分析し、絶望を克服する方向を教え示しています。それが信仰です。

 私たちは信仰によって絶望を克服し、希望をもって生きることができます。私は若い頃、「自分の罪に絶望する罪」に陥っていたのでした。神様の愛は、どんなに大きな罪も、どんなに沢山の罪も、悔い改めれば赦してくださる無限の愛です。それが信じられず、自分の罪に絶望してしまうのは、まさに罪に他なりません。神様を信じて、すべてを神様にお委ねして生きて行きましょう。

召天者記念礼拝「証人の群れ」

イザヤ書43章10~13節
ヘブライの信徒への手紙12章1~2節

説教 原 誠 牧師

今朝、わたしたちは仙台北教会で信仰生活を送り天に召された信仰の先達たちを憶えて礼拝を守っています。多くの教会が例えば「100年史」を出版しています。そのときに多くは、在任した牧師時代で章立てをすることがあります。この教会の場合でいえば片桐清治、デフォレスト、川端忠治郎、菅隆志各牧師の名前が記されます。しかし、実はより本質的には、その時代にこの教会で信仰生活を送った一人一人の信徒がおり、その信徒の信仰の「鎖」によって教会の歴史は紡がれてきたことを深く憶えたいと思います。そして今もその「鎖」のなかにわたしたちもいるのです。

わたしは主に日本のキリスト教の歴史、またアジアのキリスト教の歴史を学んできましたが、その際の重要な視点、そして方法として「民衆史」ということを念頭に置いてきました。通常、日本のキリスト教を学ぼうとするときには、例えば新島襄や内村鑑三、あるいはデフォレスト、シュネーダーなど著名な牧師、指導者について学びます。しかし教会は、そこに集められた信徒によって形成されるのです。

わたしは今までいくつかの無牧の教会を応援してきましたが、その際、わたしは牧師がいなくても、そこに信徒が集まっていれば、そこは神の支配する共同体、神を中心にした教会があるのだということを強調してきました。少し目を広げてみると、単純なことだが日本の教会は日本社会全体のなかでは圧倒的に少数派です。日本の場合は、キリスト教は150年の歴史を過ごしてきましたが、今もなお家族全員がクリスチャンという場合はあるものの、その家庭のなかでクリスチャンは一人だけ、というケースは多いのです。その場合、現在は以前ほどではないかもしれないが、場合によればある種の緊張関係を持つことがあります。キリスト教は一人一人の信仰告白によって成立しますが、日本の場合、信仰告白なしに家の宗教、あるいは民族の宗教があるからです。近年、日本の宗教事情は少しずつ変化してきているかもしれませんが、このようななかでクリスチャンになるということは日本では自明のことではなく、本当に一人一人のケースが、ストーリーがあります。そのようなストーリーをもつわたしたちが、信仰の先達たちと同じく、この教会の「鎖」に連なっています。

そこでは型にはまって、硬直化した信仰ではなく一人一人の信仰の多様性があることを徹底的に重んじ、尊重していくのです。

  イザヤは「わたしの証人はあなたたち」であると述べます。またヘブル書では「わたしたちもまた、このようにおびただしい証人の群れに囲まれている」と述べています。すでに召された信仰の先達を憶えつつ、わたしたちもその「鎖」のなかにあることを憶えて「信仰の創始者また完成者であるイエスを見つめながら」歩みを続けていきましょう。

「小さくても大きい」

創世記1章31節前半
マルコによる福音書10章13~16節

説教   大久保 直樹 教師 (宮城学院中学・高等学校 宗教主事)

 「神はお造りになったすべてのものを御覧になった。見よ、それは極めて良かった。」(創1.31)神によって一人ひとり、皆等しく、「極めて良い者」として創られた、命与えられているのがわたしたちです。そしてその命=わたしたちには一人ひとり使命がある、必ず。前任校の卒業生のご長男は生後間もなく天に召されました。しかし、彼はその命をかけて、お腹に宿った頃から彼の使命(命の尊さと生きる意味を伝えること)を果たしていたのだと思いますし、現在も果たし続けてくれているのだとわたしは信じています。

 「子どもたちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。」(マルコ10:13)幼ければ幼いほどただただ親をはじめとする他者に依存するしか生きてゆくことはできない。そこにわたしたちに求められる謙虚さを重ねて見るのです。神の一方的な愛・恵みによって生かされるわたしたちが、ただひたすらに神に感謝し謙虚な心で生きようとするとき、神の国に入れられる、キリストによる平和な世に生きるものとされるのです。抱きかかえられ祝福されるのはわたしたちでもあるのです。ときに自分自身が本当に弱く小さく思うこともあるかもしれません。自分の存在意義が見えず、生きる意味が分からず、自分はなぜ生きているのだろう…などと思い悩み苦しむこともあるでしょう。誰にも頼れず、誰をも信じることもできない、真っ暗な闇の中にいる、…そんなわたしたちを「抱き上げ、手を置いて祝福」してくださるのです。この神の一方的な愛、主イエス・キリストの大いなる恵みの愛を注がれているわたしたち一人ひとりは、尊い存在とされて祝福されているのです。わたしたちはとかく、人間の物差しによって、目に見えるものを比較し、そのことがあたかも人の価値を決めるかのような思いを抱いてしまいます。劣等感から人を羨んだり、逆に優越感を持って人を蔑んだり…。そんなわたしたちのこの世的な価値基準によれば、たとえ小さくて弱い存在であったとしても、実は神の目から見れば、皆等しくとてつもなく大きな存在であり、極めて良い存在・尊ばれている存在なのです。一人ひとり生きる意味があることを心に刻みたいと思います。 

「タイの山奥のクリスチャン」

詩編72編1~7節

説教 原 誠 牧師

 わたしはこれまで約30年、毎年、タイに学生と一緒にスタディ・ツアーを行ってきました。このプログラムのなかで一番大切なことはタイ北部のミャンマーとの国境に近いジャングル地帯に住んでいる少数山岳民族のクリスチャンの村を訪ね、共に礼拝することです。タイは仏教に基づいた王国で憲法で信教の自由は保証されていますが、プロテスタントは0.3パーセント、30万人です。タイのキリスト教は教会や学校や病院を設立し、近代化に寄与しましたが日本と同じく少数派です。しかし北タイの山岳民族のなかでは状況が違います。北タイのジャングルのなかに80万人を超える少数山岳民族が生活しています。その民族とはカレン、ラフ、モン、ヤオ、リス、アカなどで、山の中に部族ごとにいわばモザイク状態で生活しています。タイの国籍を持たない彼らはタイ政府の対象ではありませんから電気や水道はなく、学校も病院もありません。ですから政府にとってみれば不法滞在者ということになります。この80万人の中の40パーセントがクリスチャンで、その数は30万人を超えます。わたしたちはその村に泊めてもらい、農作業を手伝い(邪魔をし)、雨水のシャワーや紙なしのトイレを経験します。近年は政府によってソーラーバッテリーが配布されるなど急激な変化が起こっています。
 日曜日には朝7時に女性だけの礼拝を、10時半には村人全員で礼拝を行います。礼拝のための音楽はギターです。聖書は全員に行き渡らないし読めない人も多いので、礼拝のなかでは全員で聖書箇所を朗読します。聖餐式はブドウジュースとビスケットで行います。午後3時に村の子どもたちだけの礼拝です。日曜日は一切仕事をしないで文字通り安息日、神と共に過ごす日として過ごします。
 近年は換金作物を作り市場に出荷します。平均的な年収は4~5万円です。教育を受けたことがない親たちは子どもたちには教育の機会を与え、タイ国籍が取れるようにしようとします。だから子どもたちはタイの町や村で寮生活をして地元の学校に通わせます。
 どうして彼らはクリスチャンになったのでしょうか。その伝道は集団改宗によるものです。伝道に何度も失敗した宣教師は、村の長やシャーマンらと語り合いそして合意をした上で、村ごと洗礼を受けてクリスチャンになります。宣教師が伝えるメッセージはキリスト教の神は「愛であ」り、神は人びとを呪わない、これが本当の神だ、愛は解放だということです。またクリスチャンになれば学校や病院を作る、キリスト教になれば結納なしに結婚できる。こうしてジャングルのなかに村ごとにモザイク状況でキリスト教が広まったのです。
 日本とは異なった状況のなかでの伝道は、近代化とか教養ということではなく、直接、魂に呼びかける直截なものでした。 「山々が民に平和をもたらし/丘が恵みをもたらしますように」。

「私は動かない」

イザヤ書 30章15節

説教 新免 貢 教師

 1955年12月1日、アメリカ合衆国、アラバマ州、モントゴメリーで、ある黒人女性が百貨店での裁縫仕事を終え、その帰り道、バスに乗りました。彼女は空いていた白人用座席に座りました。途中で白人男性の乗客がバスに乗り込んでくると、バスの運転手は、席を譲るように命令しました。彼女は「いいえ、私は動かない」と言って拒否しました。人種隔離政策違反を理由に、当時43歳の彼女は警察署に連行されました。彼女の名前はローザ・パークスです。逮捕から3か月後、ローザ・パークスは、運転手の命令に従わなかった理由をこう説明しました。「とにかく、一日中働いてカラダがへとへとに疲れていました。座席から離れるように言われても、たまたまそれに従う気になれなかったというだけのことです」。

 難しい理屈ではなく、誰にでもわかる明確な理由です。彼女の逮捕がきっかけとなって、バス・ボイコット運動が起こりました。白人と黒人をごちゃ混ぜに乗せたバスを、ワシントンD. C.から南部のニューオリンズに走らせるフリーダムライド運動も起こりました。人種差別主義者たちはバスに放火し、黒人を木につるして殺しました。これらの恐ろしい場面が映像を通して全米、全世界に伝えられ、多くの人たちが良心を呼び覚まされ、黒人たちの運動に関心を持つようになりました。

 不自由な足を引きずりながら歩いている年老いた黒人女性は、こう言いました、「私は自分のために歩いているのではない。子供と孫のために歩いているんです」。こういう崇高な言葉は、難しい本を読むことによってではなく、居ても立っても居られない状況から生み出されます。多くの心ある市民たちが立ち上がって、公民権法が成立しましたが(1964年)、人種差別は今もなお根強く残っています。こうした状況が、太平洋を隔てて、日本にいる私たちの現実ときっちりつながっているはずです。「私は動かない」は「私の信念は揺るがない」という言葉でもあります。それは世の中に変革の希望をもたらす良い言葉です。ローザ・パークスという普通の女性がそれを証明してくれました。私たちもローザ・パークスの一人となることができます。

「無宗教を認めない国-インドネシア」

コリントの信徒への手紙Ⅱ 6章1~10節

説教 原 誠 牧師

 日本では宗教については匿名性が保証されていますが、インドネシアでは身分証明書に宗教を記載することが求められます。無宗教ということは共産主義と見なされるからです。一般的にはインドネシアはイスラムの国と思われていますが、イスラムは90%、カトリックが2~3%、仏教が1~2%、プロテスタントは5~6%で信徒数は1400万人を数えます。そしてこれらはそれぞれの地域住民、部族と深く密接な関係にあります。そして政府は宗教を公認し、国民はどれかの宗教に属さなければなりません。公認の宗教はイスラム、ヒンズー、仏教、カトリック、プロテスタント、そして最近、儒教がこれに加わりました。

 どうしてこのような政策になるのでしょうか。インドネシアはオランダの植民地でした。簡単に言えばイスラムが強固な地域にはキリスト教は入ることはできませんでしたがアニミズムの地域にキリスト教が広がりました。そこでは国教であったオランダ改革派のオランダ人牧師が働きました。国教ということは、ひとつの国家にひとつの宗教ということです。そこではオランダ人の牧師が不在の時にはインドネシア人伝道者は説教することができず、オランダ人牧師が準備した説教を「代読」しました。インドネシア人はGuru Agama(宗教教師)という身分でした。

 そのような植民地時代の教会も1920年代にオランダの教会から独立し、インドネシア人による教会の歩みが始まりましたが、それが実質化しない内に太平洋戦争が始まり、日本軍による軍政が始まりました。日本軍は敵性宗教であるキリスト教の活動を禁止し、教会は非常に困難ななかに置かれました。

 太平洋戦争後、インドネシアはスカルノ大統領のもとでオランダから独立しました。彼は米ソ対立の世界情勢のなかでアジア・アフリカという第3の勢力を作ろうとし、それは共産主義も容認するものでした。そして1965年のクーデターでスカルノは失脚し、今度はスハルトが大統領になり、彼は明確な反共政策をとりました。宗教を持たないということは共産主義者というわけです。

 この時代に属する宗教を明示することが求められ、それまで部族宗教を信じていた人びとはカトリックやプロテスタントなどに集団改宗しました。そもそもインドネシアは300に及ぶ部族によって形成される国家です。つまり純粋なインドネシア民族ではなく300の多様な部族、言語、文化をもつ人たちによる多民族国家であり人工国家です。だからインドネシアの国是はBinneka Tungal Ika(多様性のなかの統一)といいます。

 最大多数のイスラムは一般的には穏健な多様性を認めますが、一部にインドネシアをイスラム教の国教にしようとする運動もあります。これをDarul Islam(ダルル・イスラム)といいます。政府はこれを統制しようとし、少数の宗教を保護しようとします。国家によって教会は守られているのです。しかし逆にキリスト教の教えに基づいて教会の立場を鮮明にしようとするとき、教会は批判しにくくなります。

 インドネシアの教会は、この状況のなかで「誠実であり、人によく知られ、生きており、殺されてはおらず、悲しんでいるようで、常に喜び、多くの人を富ませ、すべてのものを所有している」といえます。

「まことの礼拝とは?」

創世記22章1~14節
ローマの信徒への手紙12章1~2節

説教 北 博 兄

 ローマ12:1でパウロが「自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい」と勧めているのは、自分の一切を神に明け渡し、全生涯をかけて神に仕えなさい、という意味である。そしてこれこそが、まことの霊的な礼拝である。

 まことの礼拝とは生活全体において神に仕えることである。そして教会とは、そのような意味で神に仕える者達の群れである。私達は通常日曜日ごとに会堂に集い、共同の礼拝を行い、お互いを励まし合い、それぞれの生活の場へと散らされる。そしてそれぞれの生活の場で人に仕え、それを通じて神に仕える。このすべてが礼拝なのであって、会堂で行なわれる共同の礼拝だけが特別の聖なる空間なのではない。従って、何かの事情で会堂における共同の礼拝に集えなくとも、それぞれの場で神に仕える者達の心がつながっているならば、礼拝共同体としての教会は存在する。最も重要なのは、生活全体を礼拝とし、聖なる時間、聖なる空間とすることである。生活全体を礼拝とするというのは、日々の生活において人と神に仕え、それによって自分の人生そのものを神に献げることである。私達は弱い存在であるが、日々の生活の中で常に神との出会いを求め、神によって力と希望を与えられ、日々新たにされて神に仕えていきたいものである。

「神の言葉はつながれていない-共産党が支配する国の教会」

テモテへの手紙II 2章8~13節

説教 原 誠 牧師

 今朝はベトナムの教会の歴史と現在について、そしてどのような政治状況のなかにあっても「神の言葉はつながれていない」というみ言葉の意味を知りたい。

 わたしは17年前と2年前の2度、ベトナムの教会を訪れました。ベトナムでは戦争が終結して共産党一党支配のもとにありますが、今もなお二つのプロテスタント教会が存在しています。ベトナム福音教会(南)(Evangelical Church of Viet-Nam, South)ともう一つはベトナム福音教会(北) (Evangelical Church of Viet-Nam, North)です。

 フランスの植民地であったベトナムには各地にカトリック教会があります。しかし少数ですがプロテスタントの教会がります。

 南に成立していたプロテスタント教会は15年前の状況でいえばベトナム福音教会(南)には318教会と45の伝道所、1148人の牧師23人の引退牧師がおり、644人の神学生が学んでいました。神学校の校長レ・ヴァン・ティエン博士によれば、ベトナム戦争の時代について「教会は政府に忠誠を誓い、教会として政府の政策に反対することはなかった。教会は政治に関与しなかった。政治的に教会が巻き込まれないことが愛国主義だったのであり、政治的混乱に巻き込まれることが非愛国主義だったのだ。だから教会としてはイエス・キリストの救いと福音を説き明かし、それを実践するということが基本であった。だからクリスチャンや教会は社会の中で認められる存在でした」といいます。

 しかしベトナム統一後、教会は政府によって大きな試練を受けました。礼拝を守ることは認められましたが神学校、社会福祉活動、学校、病院などはすべて政府のもとに置かれ、あるいは閉鎖されました。

 資本主義の側に立っていたと認識された人びとは再教育キャンプに送られ、厳しい困難な生活を強いられました。教会からは1000家族をこえる人々が地方に送られました。そのうちキン・テー・モイのキャンプはクリスチャンが多かったので、キャンプの中でいくつかの教会が設立され、1000をこえる礼拝所が開設されました。また200人の指導的信徒によって12万~18万の人々が信仰の指導を受けたのでした。レ・ヴァン・ティエン博士は、この状況について、端的にわたしたちは「献身、奉仕、苦難を分かち合ったからだ」と述べています。1991年に政府によって教会活動が承認されるようになりましたが、まったくの自由が与えられているわけではありません。

 ホーチミンの郊外にあるヘット・プー教会では多くの青年が出席していました。信徒数500人、受洗者は年に15人程度だといいます。個人の入信に際しては、当然、家族や周囲とトラブルが起こるので公表しないで受洗するケースや、たとえ洗礼を受けなくても心はキリスト教という青年も大勢いるといいます。 この状況のなかにあってもパウロの「しかし、神の言葉はつながれていません」という言葉が示されます。圧倒的な困難ななかにあって、それでも希望を失うことなく、慰めが与えられ、ベトナムにおいてもイエス・キリストの福音が宣べ伝えられているのです。