「キリストの受難(1)」

マタイによる福音書26章 1~13節

説教 伊藤 香美子 姉

 新型コロナウイルスの感染拡大防止のため出されていた「緊急事態宣言」が解除されて、約1カ月半が経ちましたが、まだまだ気を緩めることなく、第二波の感染拡大が起きないように、充分注意して生活しなければなりません。あの宣言のもとで、私たちは日常生活のいろいろな面で自粛を要請されました。また、旅行や様々な文化活動やスポーツ大会等が中止になる、もしくは延期になるという残念な経験もしました。あの時、私にとって非常に残念だったことは、5月5日に予定されていた、私の大好きなバッハの信仰告白ともいうべき「マタイ受難曲」(マタイ26:1~27:66に記された「イエスを殺す計画」から「イエスの埋葬」までをテキストにして作曲された)の演奏会が来年に延期されたことです。この曲の演奏会は、私の知る限り、毎年この時期に東京等で開催されていますので、来年に延期とは今年は中止ということで、毎年楽しみにしていただけに、とても残念でした。

 しかし、このように予定されていたことが中止、または延期になるという状況は、あの宣言が解除された今も続いていますし、海外においても同様です。私は昨年、後期高齢者になりましたので、今年の8月に予定されていたドイツ旅行を、最後のチャンスになるかもしれないということもあって、とても楽しみにしていました。ところが、この旅行も2年後に延期になりました。しかし、中止ではなくて2年後の延期で、「よかった!」と心の底から喜びました。その理由は、この旅行はドイツのオーバーアマガウという村(アルプス山麓にある小さな村)で、10年に一度上演される「キリスト受難劇」を鑑賞するのが主な目的の旅行だからです。これが今回中止になって、次の上演が10年後の2030年ということになれば、その時、私はまだ生きていたとしても、もう86歳ですから、オーバーアマガウに行って、この「キリスト受難劇」を鑑賞するのは恐らく無理でしょう。ですから「2年後に延期」で本当によかったと思いました。2年後ならまだ大丈夫、自信が有ります。

 実は、10年前の2010年に、私はオーバーアマガウに行ってこの「キリスト受難劇」を初めて鑑賞して、とても感動しました。そこで、また10年後、すなわち2020年の今年、ぜひもう一度鑑賞したいと願いながら、それを楽しみに、この10年間を過ごしてきたといっても過言ではありません。

 オーバーアマガウの「キリスト受難劇」は今からおよそ400年前、1634年に始まりました。その前年の1633年に、ペストがヨーロッパ全域で猛威をふるい、何十万人もの犠牲者が出ました。まさに今のコロナのようです。ちなみにコロナの犠牲者は昨日の7月11日で、554,989人と新聞に載っていました。当時のヨーロッパでは人々はペストをどんなに恐れたことでしょう。オーバーアマガウの村民は、ペストが村に蔓延すれば大勢の犠牲者が出て、村が絶滅してしまうのを恐れて、そうならないように神様に祈りました。「神様、もしペストによって村が絶滅することから救ってくださるなら、感謝の印として、私たちの主イエス・キリストの受難劇を今より世の終わりに至るまで、10年毎に上演いたします。」するとこの日を境として、ペストによる犠牲者は、全くいなくなったと、村の年代記に記されています。そして翌年の1634年のペンテコステに、村民は「キリスト受難劇」を初めて上演しました。それが今日まで途絶えることなく続いていて、1680年からは西暦で終わりが0になる年毎に上演しています。

 私が鑑賞した10年前の2010年の記録によりますと、上演期間は5月15日から10月3日まで、上演回数は102回、1回の上演時間は約5時間、劇の参加者の合計は約2,150名(すべて村民で、村の人口の半数)でした。

 「科学の進歩と共に信仰は廃れる」と言われて久しい中、純朴な信仰に生きるオーバーアマガウの村民の信仰告白ともいえる「キリスト受難劇」は、信仰がもたらすまことの希望を与えてくれます。私は2年後を期待して待ちながら、日々の信仰生活に励みたいと思います。 キリストの受難は私たちの信仰の原点であり、受難曲と受難劇は私たちに信仰の奥義を深くかつ分かりやすく悟らせてくれるものです。

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