「主は羊飼い」

詩編23編  1~6節

説教 原 誠 牧師

 困難な状況のなかで7月を迎えた。日常と非日常、当たり前とそうでない状況の日々が続く。そして事柄は凝縮して、濃密に、弱さ、弱者にしわ寄せされていくことが明らかとなってきた。そのなかで、教会とは、信仰とは、ということにわたしたちは集中する。
 わたしはこれまで30年間以上、学生と一緒にタイ・スタディ・ツアーを行ってきた。そのなかのひとつのことを紹介する。太平洋戦争下のタイの捕虜収容所のなかで生まれた教会のことだ。太平洋戦争中、日本軍はタイとビルマ(現在のミャンマー)のジャングルに鉄道を建設した。この工事に連合軍の捕虜約3万人などがかかわった。現在、当時の収容所を再現した博物館がある。竹と藁でできたものでその名前はJEATHミュージアムという。DEATH (死)に引っかけたものだ。その意味はジャパン、イングランド、オーストラリア、タイ、ホーランドだ。
 このなかを生き延びたゴードンというイギリス陸軍の将校が書き残した『死の谷を過ぎて-クワイ河収容所』という本がある。彼は将校となりシンガポールに派遣されて日本軍につかまり、ここに送り込まれた。過酷な労働、不足する食料、医薬品。熱帯での伝染病、加えて捕虜のなかでの人間関係など、一言でいえば文字通り極限状況のなかに置かれた。そして、追い詰められて人間の本質が浮き彫りになっていく。
 そのなかでゴードンは、驚くべきことを報告している。収容所のなかで教会が生まれたいうことだ。そのなかで聖書を読み学ぶグループが生まれた。このグループのリーダーとなった。参加したのはかつてメソジィスト、バプテスト、監督、長老、組合教会に属していた信徒も無神論者もいた。もちろん自由参加だ。彼は記している。
「教会というものを定義してみると、私たち大方の見方では、次の三種の教会があることになる。まず第一。規則、儀式、書物、長い座席、説教壇、大理石、尖塔があって成り立つ教会。次に、教義要綱や教義問答集や神学教授からなる教会がある。最後に、霊の教会がある。この教会は、すなわち神の愛の働きかけに対する喜びの応答である。その応答として存在する教会である。その教会は、世俗世界からその外側へ呼び出されて、しかも世俗世界の中にあって生きるようその内側に送りこまれて、存在する教会である。そこにあるのは神聖な人間キリストがそしてその子らが存在している雰囲気である。キリストの愛があるところならどこにでも存在するという教会が霊の教会である。私たちのは霊の教会であった。この教会が捕虜収容所に対して生命を与え、収容所と単なるひとの群集-恐怖におののく個人の群!を、控え目に言っても大きく変革させていた中心な目である。」(要約)
 この教会の礼拝で一番よく歌われた讃美歌が、「主はわがかいぬし」だった。
 彼は生き延びてイギリスにもどり、その後、アメリカのプリンストン大学神学部で神学を学び、牧師となった。
 わたしたちの信仰は、今、圧倒的に困難ななかにあって聖書の言葉が「再読」されて、わたしたちの教会が、信仰がある、ということを知りたい。