「メシアが来る」

ダニエル書7章13-14節
マルコによる福音書14章61-65節

説教 北 博 兄

 メシアとは、旧約聖書のヘブライ語で「油注がれた者」という意味である。古代イスラエルにおいて、ある人物がクーデターかそれに近い方法で王となるよう命じられる時、象徴行為としてその人物の頭に油が注がれた。閉塞状況を武力で打破し、正義をもたらすメシアが待望された。ダニエル書7章はユダヤ教に対する大迫害の中で書かれ、天の雲と共に現れる「人の子のような者」の正体は、将来への期待また問いとして残された。
 イエスが宣教活動を開始するのは、ローマの支配からの解放者メシアを待望する空気の中であった。ところがイエスは、期待に反してあっけなく逮捕され、十字架刑に処せられて息絶えてしまう。弟子達は皆イエス逮捕の時点で逃げ去ってしまう。ところがこの頃から、弟子達の間で「イエスは甦った」という噂が広まり始める。「甦った」ということの最も深い意義は、十字架刑という非業の死を遂げたイエスが神に肯定されたということである。弟子達は、イエスの十字架上の死がイザヤ書53章の預言の成就であり、苦難の僕こそ真のメシアの姿であると確信し、「イエスこそメシアである」と言い始める。メシアはギリシア語でキリストであり、彼らはローマ世界で「イエスこそキリスト」と告白するようになり、キリスト者と呼ばれるようになった。従って、教会は十字架の死を遂げたイエスをキリストと告白する者達の群れである。しかしそれは、いばらの道の始まりでもある。私達は再臨の主を待ち望みながら、今を耐え忍びつつ待望の生を生きるのである。

2020年7月26日 | カテゴリー : 主日礼拝説教 | 投稿者 : サイト管理者