「無宗教を認めない国-インドネシア」

コリントの信徒への手紙Ⅱ 6章1~10節

説教 原 誠 牧師

 日本では宗教については匿名性が保証されていますが、インドネシアでは身分証明書に宗教を記載することが求められます。無宗教ということは共産主義と見なされるからです。一般的にはインドネシアはイスラムの国と思われていますが、イスラムは90%、カトリックが2~3%、仏教が1~2%、プロテスタントは5~6%で信徒数は1400万人を数えます。そしてこれらはそれぞれの地域住民、部族と深く密接な関係にあります。そして政府は宗教を公認し、国民はどれかの宗教に属さなければなりません。公認の宗教はイスラム、ヒンズー、仏教、カトリック、プロテスタント、そして最近、儒教がこれに加わりました。

 どうしてこのような政策になるのでしょうか。インドネシアはオランダの植民地でした。簡単に言えばイスラムが強固な地域にはキリスト教は入ることはできませんでしたがアニミズムの地域にキリスト教が広がりました。そこでは国教であったオランダ改革派のオランダ人牧師が働きました。国教ということは、ひとつの国家にひとつの宗教ということです。そこではオランダ人の牧師が不在の時にはインドネシア人伝道者は説教することができず、オランダ人牧師が準備した説教を「代読」しました。インドネシア人はGuru Agama(宗教教師)という身分でした。

 そのような植民地時代の教会も1920年代にオランダの教会から独立し、インドネシア人による教会の歩みが始まりましたが、それが実質化しない内に太平洋戦争が始まり、日本軍による軍政が始まりました。日本軍は敵性宗教であるキリスト教の活動を禁止し、教会は非常に困難ななかに置かれました。

 太平洋戦争後、インドネシアはスカルノ大統領のもとでオランダから独立しました。彼は米ソ対立の世界情勢のなかでアジア・アフリカという第3の勢力を作ろうとし、それは共産主義も容認するものでした。そして1965年のクーデターでスカルノは失脚し、今度はスハルトが大統領になり、彼は明確な反共政策をとりました。宗教を持たないということは共産主義者というわけです。

 この時代に属する宗教を明示することが求められ、それまで部族宗教を信じていた人びとはカトリックやプロテスタントなどに集団改宗しました。そもそもインドネシアは300に及ぶ部族によって形成される国家です。つまり純粋なインドネシア民族ではなく300の多様な部族、言語、文化をもつ人たちによる多民族国家であり人工国家です。だからインドネシアの国是はBinneka Tungal Ika(多様性のなかの統一)といいます。

 最大多数のイスラムは一般的には穏健な多様性を認めますが、一部にインドネシアをイスラム教の国教にしようとする運動もあります。これをDarul Islam(ダルル・イスラム)といいます。政府はこれを統制しようとし、少数の宗教を保護しようとします。国家によって教会は守られているのです。しかし逆にキリスト教の教えに基づいて教会の立場を鮮明にしようとするとき、教会は批判しにくくなります。

 インドネシアの教会は、この状況のなかで「誠実であり、人によく知られ、生きており、殺されてはおらず、悲しんでいるようで、常に喜び、多くの人を富ませ、すべてのものを所有している」といえます。

2020年10月4日 | カテゴリー : 主日礼拝説教 | 投稿者 : サイト管理者