「教団の戦争責任告白」

マタイによる福音書 5章13~16節

説教 原 誠 牧師

 わたしたちの教団は、1967年3月のイースター(復活祭)の日に「戦責告白」(正式には「第二次大戦下における日本基督教団の責任についての告白」)を明らかにしました。「信仰告白」は、歴史のなかで告白し続けるものです。ドイツではナチスが教会を支配しようとしたときに「バルメン宣言」(イエス・キリストのみが主であり、ナチズムの全体主義的世界観を批判した)を明らかにしてこれに対抗しようとしました。これもまた「信仰告白」です。

 日本では天皇を含めて戦争責任に関する議論が強く起こることはありませんでした。敗戦直後には「国体護持」が主要なテーマだったからです。教団の戦争責任の問題は、1950年に勃発した朝鮮戦争への危機感を背景に結成された「キリスト者平和の会」が発表した「平和に関する訴え」の中で「第二次大戦に際して、われわれキリスト者が犯した過ちは、平和の福音を単に眺めるのみで、そのために身をもってたたかわなかったところにあり」と述べて「これを深く悔いるものである」としました。そして1965年、当時の大村議長が韓国の総会に招かれてそこで日本を代表して謝罪したことをふまえて、翌1966年に開催された教団の夏期教師講習会の席上で若手教職たちから戦時下の教団の戦争責任を明らかにすべきであるとの意見や、沖縄キリスト教団との合同を推進すべきであるとの提案がなされ、そして1967年3月、日本基督教団議長鈴木正久の名前で「地の塩」「世の光」である教会は「あの戦争に同調すべきではありませんでした」とし、「祖国が罪を犯したとき、わたしどもの教会もまたその罪におちいりました」と述べ、「この罪を俄悔し、主にゆるしを願うとともに、世界の、ことにアジアの諸国、そこにある教会と兄弟姉妹、またわが国の同胞にこころからのゆるしを請う」という内容の「第二次大戦下における日本基督教団の責任についての告白」が公表されたのです。

 この「告白」は他のキリスト教会各派や仏教などの他の宗教を含め、思想や報道、学術などのあらゆる分野において初めて公にされたもので、その後のキリスト教各派、宗教教団にとって先駆的なものとなりました。その後、他のプロテスタントの各教派、カトリック教会のみならず巨大な仏教教団である真宗大谷派(東本願寺)、曹洞宗、浄土真宗本願寺派、臨済宗妙心寺派も戦時下に国策に協力した責任問題を明らかにしました。

 教団の戦争責任告白は、わたしたちが時代のなかで、社会のなかで、聖書に基づいて真実に「地の塩」「世の光」であることと、その使命を担っていく者であることを明らかにしたものです。聖書にしたがって生きる、ということは実に観念的なことではなく、具体的なことです。われわれキリスト者は、聖書が教える「地の塩」「世の光」として、この世において和解と執り成しをする使命があるのです。