ペンテコステ礼拝「神の子」

ヨハネによる福音書 1章23~34節

説教 上野 和明 牧師 (仙台愛泉教会 牧師)

 ヨハネによる福音書は洗礼者ヨハネが語ったこととして次のように記している。まず、自分は水で洗礼を与えるとヨハネは語る。これは形を与えることと言える。ヨハネ以前にも洗礼の「ようなもの」はあったと言われている。ヨハネが最初に、洗礼とはこうするものだというはっきりした型を整えた。そのうえでヨハネはこう言う、主イエスは「聖霊によって」洗礼を与えると。
「聖霊によって」とは意味を与えることだと考えていい。いわばヨハネの型に中身を注ぐことであり、ちょうどカップの中に飲み物を入れるようなことと言える。そのカップは誰かに「どうぞ」と渡すもの、洗礼という行いを通して一つの意味を伝えるものだ。「罪は取り除かれた」こと、実際に取り除くのは主イエスであること、この二つを広く伝えるために洗礼はある。罪が取り除かれたことは、後に一人子である主イエスが小羊となること、十字架の上で命をささげることを通して示される。なぜ主は小羊となったか、神が人間を愛しているからだ、それがその神の想いを伝えるのが聖霊である。
洗礼とは、それを受ける者が神の愛を受け入れたことを実際の形で示すことになる。人間のあるべき姿を示すことにつながる。聖霊は伝えるべき神の心、だからこそ、聖霊が与えられたことが教会の始まりとなる。教会の務めはなによりも伝えることになる。

2020年5月31日 | カテゴリー : 主日礼拝説教 | 投稿者 : サイト管理者