「苦難の歴史をへて-韓国の教会」

詩編46編2~12節

説教 原 誠 牧師

 今朝は日本との関係が深い韓国のキリスト教について紹介したい。現在、韓国のキリスト教は25パーセントといわれる。どうして韓国にこのように多くのキリスト者が生まれたのか、歴史的に振り返ってみよう。ご承知のように韓国は太平洋戦争の終結までの36年間、日本の植民地統治のもとにおかれた。実にこの時代に韓国にキリスト教は根付いた。李王朝は日本よりも遅れて開国しアメリカやカナダの宣教師が活動を開始した。日本のキリスト教の最初のキリスト者たちが武士階級、知識人、豪農商であったのに対して、韓国では大多数の農民やことに農村の女性たちに対して活動し、各地に病院や診療所、学校ができた。宣教師は日本の植民地統治については触れなかったが、しかし日本の植民地統治に対する批判、反発はキリスト者を含む民衆のなかにひろがった。有名な1919年の3・1独立宣言がなされたとき、これに署名した33人の内キリスト者は16名いた。そして3・1独立運動は全国にひろがった。そもそも平壌は「東洋のエルサレム」と言われ、住民の80パーセントがキリスト者という村もあった。植民地統治の時代にキリスト者にとって最も重要な出来事は総督府による神社参拝の強要であった。それはキリスト教の神と天皇を神として礼拝せよ、ということだったからである。これを受け入れられなかった多くのキリスト教の学校や神学校が閉鎖された。1938年、日本のキリスト教の指導者・富田満牧師が平壌を訪れて神社参拝を拒否していた教会に対して「神社は宗教ではない、国家の祭祀である、信教の自由とは関係しない」として神社参拝を強要した。しかしこれに反対した2000名の信徒は投獄され50名は獄死した。
 韓国の歴史的現実において、民衆が苦しみ涙を流していたそのとき、教会はその民衆とともにあった。だからキリスト教は、民衆のなかで信頼をうることになった。
 太平洋戦争が終わったのち朝鮮半島では北と南に分断された。北が共産化したことにより約200万の人たちが南に移った。そのなかに多くのキリスト者が含まれていた。韓国ではアメリカの支援を受けて強力な軍事独裁政権が敷かれた時、キリスト教は反共政策によって優遇されてキリスト者が急激に増加した。北で閉鎖された学校、神学校もソウルで再建された。しかし反共法のもとで市民や労働者の人権の権利が抑圧されるという状況も生まれた。こうした時代背景のもとで生まれたのが「民衆(ミンジュン)の神学」といわれるものだ。キリスト教の福音は、政治の中心、権力の中枢に向かうのではなく、周辺、辺境に向かう。特徴的なのは「ガリラヤ教会」だ。
 韓国の歴史と神の導きをおぼえながら、詩編の「神はわたしたちの避けどころ、わたしたちの砦。苦難のとき、必ずそこにいまして助けてくださる。わたしたちは決して恐れない」という言葉の意味を深くかみしめ、われわれキリスト者はこの世との和解、そして連帯という業を担っていくものでありたい。

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