「以前は気づかなかったこと」

使徒言行録 3章1~10節

説教 栗原 健 兄

 エルサレム神殿の 「美しい門」の前で、足の不自由な男が物乞いをしていました。壮麗な門の前に、「神のかたち」として創られたはずの人間が惨めに置かれているコントラストは、胸が痛むものがあります。ペトロとヨハネは彼に目を留めました。もしかすると、2人は以前、イエスと共に神殿に来た時にもこの男を見 ていたかも知れません。しかし、その時は、彼ら弟子たちは神殿の豪華さばかりに気を取られていました(マルコによる福音書13章1節)。実際、弟子たちは障害ある人に対して無神経な態度をとることすらあったようです(ヨハネによる福音書9章2節)。その後、主イエスの十字架と復活、聖霊降臨を経て神の愛の深さを知った2人は、今度は男の存在に気が付きます。

このことは大事なことを示しているのではないでしょうか。主の愛を知った者は、他者もまた主に愛された兄弟であることを見出し、彼らの痛みや悲しみに目を向けるようになります。社会のうわべの華やかさよりも、その下で苦しんでいる人の声に気がつくようになるのです。ペトロは、「右手を取って」男を立ち上がらせました(7節)。人間と人間のつながりが生まれたことが感じられるシーンです。その後、男は「神を賛美し、2人と一緒に境内に入って行った」(8節)と あります。私たちは、独りで清らかになって神の国の門をくぐるのではありません。常に他者と共に入って行きます。このことを覚えましょう。

2020年8月23日 | カテゴリー : 主日礼拝説教 | 投稿者 : サイト管理者