イザヤ書45章20~25節
説教 原 誠 牧師
75年前の1945年8月15日の敗戦を、わたしたちが属している教団は、牧師は、信徒は、どのように受け止めたのか資料を通して振り返ってみる。教団は宗教団体法によって1941年6月に成立した。戦時下の教団は、一面は教会であったが他面は国家の行政の一端を担う存在であった。その有り様の一端は、総理者の伊勢神宮参拝、戦時布教指針を令達、「日本基督教団より大東亜共栄圏に在る基督教徒に送る書翰」の発表、軍用機献納などが挙げられる。45年8月16日に予定されていた戦意昂揚音楽礼拝は15日朝に中止となり、8月28日開催の第13回戦時宗教報国会常務理事会は、教団統理者の令達を全教会に発送した。
昭和二十年八月ニ十八日/日本基督教団統理者 富田満/各教区支教区長/各教会主管者各位/「(前略)本教団ノ教師及ビ信徒ハ此ノ際聖旨ヲ奉戴シ国体護持の一念ニ徹シ、愈々信仰ニ励ミ、総力ヲ将来ノ国力再興ニ傾ケ、以テ聖慮ニ応へ奉ラザルベカラズ。我等ハ先ヅ事茲ニ至リタルハ畢竟我等ノ匪躬ノ誠足ラズ報国ノ力乏シキニ因リシコトヲ深刻ニ反省懺悔シ、今後ノ辿ルベキ荊棘ノ道ヲ忍苦精進以テ新日本ノ精神的基礎ニ貢献センコトヲ厳カニ誓フベシ。特ニ宗教報国ヲ任トスル我等ハ左記ニ留意シ、信徒ノ教導並ニ一般国民ノ教化ニ万全ヲ期スベシ。(以下略)」
ここで述べられている第一の主題は「国体護持」であり、次いで戦争に負けたのはわれわれキリスト者の「報国ノ力」が乏かったことにあり、これに対してわれわれは「深刻ニ反省懺悔」しなければならない、というものであった。
ここには平和が回復する、自由が回復する、そしてこれからは信仰に基づいた歩みができる、という期待を込めた解放感ではなく、当時の言い方でいえば「皇国臣民」としてのとらえ方が第一にあった、ということになる。われわれ日本の歴史とその社会にあるキリスト者、そしてその信仰ということが、何にあるか、何であったか、思いを巡らせる必要がある。我々の信仰とは、どのような信仰であったか。またなによりも神の前に戦時中の教会の歩みについて懺悔する信仰をかいま見ることはできない。
この問に対する答えは、単純ではないだろう。しかし、一人の信仰者として、避けては通れない問であることはわかる。戦時下に我々キリスト者は、非国民、ヤソと言われて被害者だったという言い方では説明しようもない、大きな隙間、開きがある。
それが75年前のわたしたちの教会の信仰、わたしたち信仰の先達たちの信仰であった。日本の敗戦とわたしたちの信仰を、歴史をひもときながら、わたしたちの今の信仰を考えたい。聖書が示す「わたしをおいて神はない。正しい神、救いを与える神は/わたしのほかにはない。」という言葉、あるいは十戒の第一の戒め「あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない」という教えを、今、歴史のなかでかみしめる必要がある。