アドベント第1主日「耐え忍ぶ者は救われる」

マタイによる福音書24章3~14節

説教 原 誠 牧師

 今年のアドベントとクリスマスは、1年前には考えられもしない状況のなかで迎える。
日本社会のみならず全世界がコロナの影響によって深刻な状況に遭遇して以来、わたしは密かに恐れていたことがある。それはコロナの蔓延を神の裁きとして受け止める解釈が起こるのではないかということだった。旧約聖書の出エジプト記に記される疫病、災難は、神を信じないファラオに対して下された裁きとして記される。このような理解はキリスト教のなかにもある。しかし幸いなことに、今日、このような考え方や受け止め方は寡聞にして聞かない。
 東京の富坂キリスト教センターで始められたプロジェクトでは、100年前のスペイン風邪(1918~20、大正7~9年)が大流行したとき、日本の教会はどうであったのか、それらを資料に基づいて検討しようとするものだ。しかしこれに関する資料は極めて少ない。そのなかで興味を引くのは内村鑑三が、戦争(第一次世界大戦)、飢饉(米騒動)、疫病(スペイン風邪)、地震(やがて来る関東大震災)を、神の審判(再臨)の予兆としてあげていることだ。またホーリネス教会では不信仰の罪が今、裁かれているという見解がみられる。今、そのような見方でコロナを受け止めることがないということは幸いだ。
とはいえ今日、わたしたちは厳しい状況のなかで、アドベントの礼拝のなかで聖書の言葉に耳を傾け、現実の社会の有り様に深く目を配る。そしていつの時代も弱い立場の者に対して、問題はより重層化して凝縮していくことに変わりはないように見える。コロナによってわたしたちの社会の営みの根本が赤裸々に明らかになってきていると言える。
今日、読んだマタイによる福音書では、この24章、25章から終末に関する言葉がまとめられて記され、今日の箇所はその最初の記述である。
 弟子たちが「おっしゃってください。そのことはいつ起こるのですか。また、あなたが来られて世の終わるときには、どんな徴があるのですか」と問う。弟子たちも、わたしたちも、この世の終わり、終末に深い強い関心をもつ。その答えは「人に惑わされないように気をつけなさい。わたしの名を名乗る者が大勢現れ、『わたしがメシアだ』と言って、多くの人を惑わすだろう。戦争の騒ぎや戦争のうわさを聞くだろうが、慌てないように気をつけなさい」と。今、そのような混乱、見通せない将来のなかで、わたしたちは疑心暗鬼になる。しかし聖書は告げる。「しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる」と。そして、さらにわたしたちクリスチャンにとって最も大切なことは、終末、この世の終わり、ということは、恐るべきこと、避けたいことでは決してない、ということだ。
 「それから終わりが来る」ということに対して、わたしたちにとっては真に待ち望むことだからだ。わたしたちは終末を待ち望む群れだ。終末とは、神の支配の完成、成就ということなのだから。わたしたちは「愛のわざに励みつつ、主の再び来たりたまふを待ち望む」という信仰を「告白」する。わたしたちは終末を待ち望む群れである。

2020年11月29日 | カテゴリー : 主日礼拝説教 | 投稿者 : サイト管理者