訃報とこれから

2017年3月20日、肥田舜太郎医師がお亡くなりになられました。享年100才。

1917年広島市出身。広島陸軍病院の軍医として赴任していた1945年8月6日・ヒロシマ、爆心地から6キロの地点でアメリカ軍投下の原子爆弾、リトルボーイ炸裂(ピカドン)に遭遇。直後からずっと被爆者の救助・治療にあたられ、直接被爆をしなかったものの、後になって突然発病し、被爆者と同じ症状を示して亡くなられていく症例を数多く目撃されました(救援などによる入市〈間接〉被爆や「黒い雨」など)。それが内部被ばくによるものであることを突きとめた肥田医師は、それまで知られていなかった(隠されていた)「内部被ばく」の脅威や核廃絶を世界に向け訴え続けてこられた生涯でした。

戦後60年以上、被爆者の臨床を続け、「原爆ぶらぶら病」とよばれる症状を見いだし、微粒放射性物質による内部被ばく、低線量被ばくの健康影響について研究、警鐘を鳴らされてきた肥田医師は、2011年の東京電力福島第一原発事故後、ご高齢にもかかわらず、国内外を飛び回り、放射線被ばくに対する防護の必要性だけでなく、いのちを自ら育むことの大切さを広く伝えられてきました。

政府は2017年3月31日と4月1日に福島県の浪江町と富岡町飯舘村川俣町山木屋地区の避難指示解除を行います(一部地域除く)。また、2017年3月31日をもって、福島県は区域外避難者への住宅(経済)支援を打ち切ります(一部自治体の独自助成は除く)。

肥田医師が生涯かけて訴えられてきたことが当たり前になっていない社会状況が残念です。

被爆者と共に歩まれた肥田舜太郎さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。