ドキュメンタリー映画「放射線を浴びたX年後Ⅱ」へのご来場ありがとうございました。また、映画会開催の告知へのご協力、ご配慮いただいたみなさまには心よりお礼申し上げます。
1954年3月1日、太平洋上のビキニ環礁にて行われた米国による水爆実験。爆心地から約160キロ離れていたものの、爆発後、放射性降下物を浴びた第五福竜丸の漁船員、久保山愛吉さんが同年9月23日に亡くなられました。いわゆる「第五福竜丸事件」は、ヒロシマ・ナガサキに続く核爆弾による第二の被害として、原水爆禁止を求める世論が大きく高まりました。
被ばくしていたのは第五福竜丸だけではなく、同船と同域で操業していた遠洋マグロ漁船をはじめ、貨物船や捕鯨船なども被ばくしていたことが帰港後の放射能測定によって確認されました。取材チームによると、その数は(1954年3月~12月の)1年間だけで992隻にのぼっています。船体や漁具だけではなく、漁船員、捕獲・水揚げしたマグロも廃棄処分(100cpm以上)しなければならない程の高い汚染状況だったことが当時の検査によって確認されていました。これらは当時「原子マグロ」と呼ばれていました。
放射能汚染は世界中に及びました。風に流され運ばれてきた核分裂生成物(死の灰)は雨と交り、日本列島に降り注いでいたことも当時の気象記録において観測されていました。ところによっては魚の廃棄基準の1700~3400倍を超える汚染を記録した降雨がありました。これらの影響によって、土壌や農作物なども汚染されました。
にもかかわらず、「既に検査の必要がない」と、ある日を境に水揚げしたマグロ、漁船員の放射能測定や健康調査など、官制検査はなくなりました。前日まで廃棄されていた「原子マグロ」は販売され、食卓に上りました。
漁船員の中には何度も核実験に遭遇・目撃した方がいます。実験による放射能汚染が及ぶ可能性が高かった、わかっていながら、漁船操業の厳格な制限などはなされませんでした。放射能から人命や健康を優先して保護する、という原則・姿勢で漁船員をはじめとする人々は守られていなかった、ということを、前作と今作は示してくれています。
魚が売れなくなることを恐れ、口を閉ざしたまま、既に多くの漁船員が亡くなられました。
放射能(人工放射性物質)は人の願望や思惑、時の都合や感情など、人智を超えた自然界の法則、物理学的な次元で存在します。2011年3月11日に発生した東京電力福島第一原発事故、核災害を経験した私たちにとって大切な事実を示してくれた「放射線を浴びたX年後」「放射線を浴びたX年後Ⅱ」、機会がありましたら是非ご覧下さい。
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