メッセージ 「魚の記憶」
日 時 2026年8月23日(日) 10:30〜11:30ごろ
牧 師 小西 望
交読文 詩編 8編1~10節
聖 書 民数記 11章1~6節 (p.230)
ヨハネによる福音書 6章1~13節 (p.174)
讃美歌 363・467
キリスト教で古くから用いられてきたシンボルの一つに、魚があります。“イエス・キリスト・神の・子・救い主” を表すギリシャ語の頭文字5つを並べると “イクスース(魚)” となるからで、ローマ帝国下の迫害時代、キリスト者たちは魚の絵を描いて互いの信仰を確かめ合ったと言います。
魚はイスラエル人にとって、日常の食べ物であり、大切なタンパク源でした。荒野の旅の途中、エジプトでは魚をはじめ色々なものを食べていたのにと民は嘆き声をあげました(4~5節)。ちなみにイスラエルでは、ひらめ・かれいを“モーセの魚”と呼びます。モーセが紅海を分けたとき(出14:21)、一緒に身が分かれてしまったとの伝説があるのだそうです。
また今日開いた箇所はじめ、人間をとる漁師の召し(マルコ1:17)、釣った魚から銀貨を取り出す話(マタイ17:27)、153匹もの魚がとれて焼いた魚を復活の主イエスが食べられた話(ルカ24:42~、ヨハネ21:5~)など、福音書には魚がよく現れます。焼いた魚の話は、十字架の死を遂げられた主イエスが完全な身体をもって復活されたことを指し示していましょう。思えば主イエスは傷ついた者に触れ、その痛み悲しみに涙し、喜ばしく共に食べることを喜びとされ、ついにはその肉と血によって私たちの贖いを成し遂げられたのでした。
今日の箇所によると、5つのパンと2匹の魚は少年のお弁当でした(9節)。主イエスはこれを用いて10「五千人」を満たされ、小さな者の働きも大きな喜びへと尊く用いられることを指し示してくださいました。
主イエスの昇天の後も、弟子たちは魚を見るたびに主イエスの言葉とみ業、そして召しを親しく思い起こしたことでしょう。そしてわたしたちも、日々の生活の中で具体的にみ旨に生きていくべく召されています。