メッセージ 「子どものように」
日 時 2026年8月16日(日) 10:30〜11:30ごろ
牧 師 小西 望
交読文 詩編 51編1~14節
聖 書 列王記下 5章1~14節 (p.583)
ローマの信徒への手紙 8章14~17節 (p.284)
讃美歌 509・455
1「ナアマン」は、イスラエルの仇敵アラムの軍司令官です。家には、かつて戦乱の際捕虜としたイスラエルの2「少女」がいました。1「重い皮膚病」を患っていた彼はこの少女の助言を得て、預言者エリシャによる癒しを求めてイスラエルに赴く決意をします。
彼は地位もあり、重用されていたのでしょう。アラム王からイスラエル王への親書も得、外交使節のようにやって来たのでした。が、策略が企まれているに違いないと、イスラエル王はこの求めを拒絶してしまいます。
ナアマンはエリシャの家を直接訪ねました(9節)。が、エリシャは顔を合わせようともせず、10「ヨルダン川に行って七度身を洗いなさい」との伝言を与えただけだったのです。怒ったのはナアマンでした。この無礼でいいかげんな対応は何かと憤慨し立ち去ろうとした彼でしたが、家来たちがこれをなだめ思い留まらせました。ナアマンが14「神の人の言葉どおりに」軍服や武器そして心の鎧をも脱ぎ去ってその身を14「ヨルダンに七度浸した」時、体は14「小さい子供の…ように」清くされたのでした。
このお話では、体面や駆け引きまたプライドに縛られる人のあり様と、2「少女」や14「神の人の言葉どおりに」したナアマンの姿が対比されています。14「小さい子供」のようなあり様が主の前にむしろ尊く、敵味方の壁をも乗り越えさせると告げられています。
今日の新約聖書に出てくる15「アッバ」とは幼児語、いわば“お父ちゃん”です。主イエスが神をこう呼ばれたように(マルコ14:36)、主イエスの恵みに招かれた者はこう声を合わせ得るのだと告げられています。この手紙は伝道者パウロがまだ会ったことのないローマのキリスト者に宛てたもので、それだけ精緻な論議が綴られています。が、その中心部において、神に招かれ養われている者として小さな子どものように主の名を呼ぶことの大切さが指し示されています。信仰とは難しいことではない、子どものように私を求めなさい、と告げられているかのようです。