石巻栄光教会物語 第2回

東北への宣教

小さな教会から広がるネットワーク

 1887年の石巻の大規模火災の後、弘前美以教会(メソジスト教会)から津田義人伝道師が石巻の日本クリスチャン教会に着任し、北上川・江合川・迫川流域への伝道が展開していきます。現在の日本基督教団涌谷教会はこの時に始まっています。

 日本クリスチャン教会は、東京の麻布と築地に拠点を確保しつつ、石巻から宮城県北部・岩手県磐井郡(現在の一関市)へと伝道を展開していきます。
 しかし、東京と宮城県北・岩手県南との二つの地域で活動が展開した結果、クリスチャン教会が一体となって活動する上で、距離に起因する問題が生じました。また、創設者ジョーンズ宣教師一家が中国へ向かって離日し、その他の宣教師も体調を崩して帰国を余儀なくされる事態が相次ぎました。
 さらに、そうした中でいわゆる「内村鑑三不敬事件」が起こり、キリスト教への逆風が吹くようになっていきます。つまり、クリスチャン教会は誕生間もなく、たいへんな困難に直面することになるのです。

 このような困難の中ですが、1893年に「クリスチャン教会東北役者四季会」と題された3日間の会合が、栗原郡若柳基督教講義所で行われました。この会は、四季ごとにクリスチャン教会の牧師たちが顔を合わせ、伝道について話し合うという趣旨の会合でした。1893年はその第1回でした。その報告によると、この会合の中心は石巻の中澤吟太郎(徳蔵)牧師や涌谷の千種成紀牧師ら東北の日本人教役者であり、300名余の聴衆を集めつつ盛会のうちに行われたとのことです。

 この時期、米国クリスチャン教会は教役者の不足を補うために新しい宣教師を続々と派遣しました。新たにやって来た宣教師たちは、宣教地の地理的隔絶に起因する問題を解決するために、仙台に宣教師の拠点を設け、さらにその後、宇都宮に教会を設立します。これが現在の日本基督教団仙台東教会と日本基督教団四條町教会となって現在に至っています。