2011年3月11日に発生した東日本大震災。石巻栄光教会も津波で床下浸水、建物の一部が損壊しました。教会付属幼稚園の園児は全員無事でしたが、教会員には天に召された方がいらっしゃいます。また、多くの教会員や園児の保護者が、住居や財産、仕事を失いました。
以下は震災から1ヶ月の記録です。当時の小鮒實牧師が震災直後から毎日記録され、教会HPで発信していました。個人情報に関わる部分などを除き、書かれた文章をそのまま掲載しています。(各日のタイトルは再掲載にあたりHP担当者がつけたものです)
3月11日(金) 発災、そして津波
2011年3月11日(金)午後2時46分頃、大きな地震が発生しました。園バスが子どもたちを降ろし、園に帰って来てから5、6分後でした。
地震当時、2人の職員は職員室にいました。棚から落ちる落下物の中、机の下に隠れ、揺れが少し落ち着いて来たとき、散乱した部屋を掻き分け園庭に避難しました。
園長と1人の職員は、教会の事務室で卒園式の準備をしていましたが、大きな揺れのため立っていることが出来ず、机の下に避難、散乱した部屋を横目に園庭へ。
牧師館にいた職員は、食器棚が倒れ、逃げ道を失い、少し揺れがおさまったとき、窓から園庭へ避難しました。
運転手はバスの清掃中。近くにいた職員と共に園庭へ避難。園舎の軒下天井の一部が崩れ落ちて来たので、バスを園庭の中央付近に移動してくれました。
余震が続く中、とにかく全員が園庭に集合。運転手は車で自宅に帰りましたが、ほかの者はそのまま隣の好文館高校に避難しました。(幼稚園の犬と我が家の猫を連れて)。このときはまだこんなに大きな津波が来るとは誰も思っていませんでした。
好文館高校には、近くの人たちが沢山避難して来ました。教会員や幼稚園の保護者・園児もいました。しばらくすると、津波警報。水が少しずつ見えて来ましたが、教会・幼稚園があるあたりまでは、水が来ないと誰もが高を括っていました。
水が少し見えて来た所で、園長は、幼稚園には兎がいること、園の窓が開いていること、鍵もかけていないことを思い出し、園に急いで帰りました。そして、増水して行く中で、幼稚園の戸締まり、地震で開いた教会の戸締まりをし、兎も牧師館に避難させました。
あっという間に、水は膝近くまで来て、長靴では移動出来ないことを悟り、牧師館に留まりました。水は、一段低い好文館高校へと滝のように流れて行きました。
この頃には、固定電話、携帯電話も繋がらなくなり、100mも離れていないのに連絡がつかなくなりました。教職員は、そのまま好文館高校の2階で寒さに震えながら一夜を過ごしました。これが私たちの経験した地震および津波の第一日目です。
3月12日(土) 私設の臨時避難所に
朝、水は少し減っていましたが、まだ残っていました。長靴を履いてもあまり遠くまでは行けませんでした。勿論、自家用車でも、自転車でも。孤立状態。
教会員、園児の安否が心配でしたが、何も出来ず。
隣の好文館高校から、幼稚園の先生方が腰まで水に濡れながら歩いて園に帰って来ました。そして、園にあったわずかな食べ物を好文館高校に届けました。勿論、焼け石に水なのは分かっていましたが、そうせざるを得なかったのです。なんとか犬と猫を連れて園に帰り、その日は教会堂で過ごしました。幼稚園の先生方は教会堂で宿泊。M.K.兄、教会にある寝袋等を用意。
教会・幼稚園・牧師館は、奇跡的に床下浸水に留まりました。実は、水は来たのですが、その多くは隣の好文館高校など低い隣地に流れて行ったのです。教会・幼稚園の建物は床に水が上がらなかったので様々に活用されました。
隣の好文館高校に避難していた人たちが、自宅へ戻ろうと幼稚園の裏門(扉)から続々幼稚園に来られました。幼稚園は比較的水が引くのが早く、園庭はヘドロでグチャグチャでしたが、コンクリートの部分は通り道として活用されました。しかし、お家への帰り道が冠水していてお家に帰れない方、足腰が弱い方、また水に浸かり不自由していた方々は、再度好文館高校に戻ることを躊躇。成り行き上、幼稚園の「のあさんの部屋」を臨時避難所として開放することになりました。
当初は30名近くの方々が「のあさんの部屋」に一時避難しました。怪我をしている人には幼稚園の救急箱を提供し、床に敷く敷物も提供しました。
3月13日(日) 礼拝堂や園舎は
日曜日ですが、地震で教会内が散乱状態で「聖日礼拝」守れず。(聖書讃美歌等を置いていた棚、また、週報ボックス等倒れ、散乱。食器等を置いていた机が倒れ、多くの食器破損。事務室の棚倒壊。多くのもの破損、散乱。幸いPCは無事。教会堂の窓も地震ではずれ、幸いガラスは割れなかったが、鍵がよく閉まらない状態。
幼稚園では、軒下天井が破損危険状態。ぱんだ組のピアノが倒れ壁破損。職員室は教材等を置いていた大きな棚が30cm移動。それにより壁破損。ロッカー、机等も移動。棚に入れていたもの、ほとんど落下。絵の具を入れていたボトルも落下割れる。多くのもの散乱。職員室メチャクチャ。地震の大きさを痛感。ファミリー文庫の本も散乱。文庫室のPCのプリンタ落ちて壊れる。2階の和室、台所も散乱。額が落ちガラス割れる。
牧師館は、玄関入口一部破損。門のタイルも一部破損等々。)教会幼稚園牧師館それぞれ原形をとどめているが、後日冷静に調査する必要あり。
幼稚園の保護者が、昔の灯油ストーブ、灯油2缶、食糧、ペットボトル等を届けてくれた。(家族と共に新潟に一時避難するため、冷蔵庫にあったものを全部かき集めて持って来てくれた。停電で冷蔵庫使用不可のため?)
昔の灯油ストーブと灯油は、のあさんの「臨時避難所」で使用してもらう。
水嵩が減って来たので、幼稚園のI先生を自宅に送る。残りの二人の先生は教会堂で宿泊。
「臨時避難所」2日目。自分の家が心配で、家に帰った人もいるが、まだ20人以上避難している。
3月14日(月) 教団教区から訪問
日本基督教団総会議長石橋秀雄先生、東北教区総会議長高橋和人先生をはじめ合計6人の調査団の訪問を受ける。交通規制が敷かれていて、カメラのキタムラの近くから歩いて来られた。
物資を持って来られたが、歩きなので、私の車で物資を取りに行ってくださった。水、食糧、ローソク、電池等々をいただく。感謝。
地震と津波の被害についてお話をしたあと、調査団は私の車で石巻山城町教会へ行かれた。
調査団が帰ったあと、物資の配給を行う。
幼稚園の先生方帰宅。一人は自家用車が津波の水で故障、小鮒家の自転車で1時間30分かけて悪路を自宅に帰る。
教会員、幼稚園の園児の安否確認を歩いて行う。(自転車を貸してしまったので)
救援物資や水が「避難所」である好文館高校には届いたようだが、「臨時避難所」である栄光幼稚園には来ない。隣の好文館高校に水をもらいに行ったら、はじめは「避難所用なので一般の人には与えられない」と断られたが、「臨時避難所」ということで強引に水をもらって来た。
「臨時避難所」3日目。まだ10数名の人が避難している。
3月15日(火) こんな生活いつまで続く?
午前中、連れ合いと2人で教会員のS.S.宅とS.M.宅を悪路の中を歩いて訪問。
S.S.姉の家は鍵がかかっていて、どこに避難したのか不明。心配。
S.M.姉は、隣家の方に聞くと、昨日自衛隊の人が来て、ご主人と娘、孫と一緒にご遺体をどこかに運んだという。(ご遺体は数日前に確認されていたようだ)搬送先は不明。涙に濡れる。持ってきた食糧等、隣家の方に差し上げる。
午後、「臨時避難所」の人たち、全員帰る。「臨時避難所」には、救援物資が来ない、水も来ない。親戚、知人の様子が徐々に分かったので、そちらに身を寄せる。いろいろな事情があったようだが、とにかく「臨時避難所」は今日で閉鎖となる。(4日目で閉鎖)
園児の安否確認。コンタクトがとれない子もいる。
ローソクの灯で夕食。携帯電話「圏外」で使えず。風呂にも入れず、ラジオを聞きながら8時には睡眠。だって、真っ暗闇ですることないモン。こんな生活いつまで続く?
3月16日(水) 物資と炊き出しの支援
片岡謁也教区宣教部委員長、柴田信也長田センター主事、新井純十日町教会牧師、渡辺真一同志社大学院生、Ken Joseph Jr.(アガペハウス)、ほかに取材で London Evening Standard の David Cohen 、横尾通訳者などが来石。救援物資をいただく。携帯電話の充電器も。感謝。炊き出しもしてくださった。おいしかったです。
片岡委員長は、当教会に来られていた鈴木先生、ぺー先生と石巻山城町教会へ。当教会からの帰りに、M.Y.兄の所へ寄るとのこと。
教会員園児の安否確認。
3月17日(木) いつまで持つか
G.J.夫妻、S.S.兄、灯油をもらいに来る。分けてあげる。
教会・幼稚園の灯油タンクには、半分近く灯油がある。しばらくは持ちそうだ。しかし、いつまで持つか分からない。勿論、補給は不可能。
園児、卒園児確認、T.A.児、H.T.児、M.I.児、M.T.児宅等を歩いて訪問。全員無事。ホッとする。
3月18日(金) 1週間、電気と水は
教会員のS.M.姉、M.Y.兄、教会に顔を出してくれる。
ほかに2名の会員が無事であること判明。(避難所にいる)感謝。
地震、津波から1週間経つが、未だに電気も水も来ない。携帯も繋がらない。
少しずつ、教会員幼稚園関係者の安否が判明しているが、まだ全員の確認は出来ていない。
3月19日(土) 心からおうえんしてます
朝、鰐山配水場に水を汲みに行く。上り坂がかなりきつい。歩いて30分。18リットルのボトル2つに水をいっぱい入れてもらったら、帰りは1時間近くかかった。キャスター付きのキャリアを持って行ったにもかかわらず、路面がデコボコ状態なので、2人で交代、休み休みやっと教会にたどり着く。やはり老体にはこたえました。
仙台の明泉幼稚園のサムエルブローマン氏が来られた。援助の申し出。
午後、エマオの支援センターから物資が届く。日本バプテスト連盟の方々4名が運んで来てくれた。
教会にも少し物資を降ろし、その後避難所になっている好文館高校へ。好文館高校では救援物資は十分とのことで、近くの大街道小学校(避難所)へ行く。ここでも食糧関係は間に合っているとのことで、その代わり、発電機2台、ランプ、衣類、生活用品(生理用品、赤ちゃんのオムツ、粉ミルク、歯ブラシ、せっけん等々)を置いてきた。好文館高校には電気が来ているが、大街道小学校は配電盤の故障(津波のため)でまだ電気が使えない状態。
食糧関係の物資があまったので、教会でいただく。
食料の中にあったメッセージ
「からだに気をつけて下さい。心からおうえんしてます。」(さいたま市小1たけるくん)
「みんな元気だしてがんばってね」(さいたま市小4美香さん)
教会学校(子どもの教会)のおともだちが、教会で地震や津波のお話を聞いて、お家から持ち寄った食料なのでしょう。涙が止まりませんでした。感謝、感謝。本当に感謝です。ありがとうね、みんな。
夕方、日本バプテスト連盟の野口宣教部部長、濱野宣教研究所所長も教会を訪ねてくれた。
I.I.兄宅、H.T.姉宅、M.Y.兄宅などに救援物資を届ける。
たまたま給油所が開いていたので、40分並んでガソリンを補給。150円/L。これで車も使える。ラッキー!
水の確保のために情報収集。歩いて10分近くの所に井戸水をくみ出すポンプがあることを知る。バケツに2杯、水を汲んで来たが、塩水のため飲料水には使えず。トイレの水に使用。
3月20日(日) 教会員を探しに
午前10時30分 聖日礼拝
説教「あなた方には世で苦難がある。しかし…」(ヨハネ16:33) 讃美歌 533、484
小鮒家の2人とI.I.兄、計3名で礼拝を守る。
大地震と津波の被災を受けた私たちであるが、イエス様の愛を信じ、くじけないで頑張って行きたいとのメッセージを語らせていただいた。
礼拝後、安否が確認出来ていないU.Y.姉、A.S.姉の情報を求めて市役所へ。1時間以上2人で避難所名簿を探したが、名簿には載っていなかった。
午後、U.Y.姉、A.S.姉を探しに、自宅へ。やっと探し出した家は、惨憺たるもの、津波の餌食になっていた。渡波小学校(避難所)、役場(避難所、遺体置き場)等を探し回ったが、行方不明。失意の内に教会へ帰る。
仙台北教会の小西望先生が、礼拝後お願いした物資を、早速届けてくださった。自転車も届き、感謝。
小西先生と一緒に石巻山城町教会を訪問。
3月21日(月) 自転車で物資を届ける
朝、鰐山配水場へ水汲みに。ガソリンがもったいないと思ったが、思い切って車で出かけた。18リットル缶4本、バケツ2ケ分、それに5リットルパック2本、その他ペットボトル多数。とにかく、車に積めるだけ水を持ち帰った。
自転車が手に入ったので、自転車で物資をもってS.Y.兄宅を訪問。無事確認。O.K.宅も訪問。
CRASH JAPAN のトムソンピーター来会。
日本バプテスト連盟の方々と大街道小学校(避難所)へ。下着、靴下、衣類等を届ける。
3月22日(火) 落ち着いたら葬儀を
朝、幼稚園の安否不確かな園児宅を歩いて回る。一人は無事を確認できたが、もう一人とは会えず。でも、管理人によれば、震災後に会ったと言っていたので一安心。
Samaritan’s Purse の人たち来会。救援物資のリストを渡す。
蛇田中学校の避難所にいるS.M.姉のご主人、家族の方を訪問。S.M.姉は3/21(月)午後5時に火葬、ご遺骨は蛇田の「やすらぎ会館」に一時安置してあるとのこと。いずれ落ち着いたら、教会で葬儀をして欲しい旨、依頼された。
Samaritan’s Purse の救援物資届く。(Joseph Benson 他10名)取材。
行方不明だったU.Y.姉、A.S.姉が避難している所が分かったので、Samaritan’s Purse の救援物資を持って渡波へ。私たちとS.M.姉の3人で、車に積められるだけの物資を載せ、届ける。とても心配していた2人だったので、再会を喜ぶ。
この間(私たちが渡波に行っている間)、エマオから高田恵嗣宮城北地区地区長と松本さんが来会し、依頼しておいた物資を届けておいてくれました。(15:40)感謝。
3月23日(水) 14日ぶりにやっと
S.M.、R.T.、Y.M.、S.N.宅に、それぞれ救援物資を届ける。
近隣の方々100名以上に救援物資を分ける。声をかけたら、沢山の方々が取りに来た。中には、「バザーをやっているのは、こちらですか」というような人もいた。本当に困っている人たちに救援物資を分けてあげたい。
転出されたM.M.姉より、安否確認あり。
Samaritan’s Purse の方々と渡波小学校(避難所)へ。
教会員のO.K.兄の懇意にしている所(S氏宅)で、お風呂に入ることが出来た。何日振りだろう。震災の前日も入っていなかったような気がする。そうすると14日振りということになる。頭は2回も洗ってしまった。生き返ったような感じ。感謝、感謝。
教会牧師館に電気が来ました。電話も回復しました。ネットも使用可になった。でも、お風呂に入ったら、急に眠くなってメールのチェックは翌日に。ご心配いただいているのに、ゴメン!ゴメン!
3月24日(木) ネットがつながった
朝、PCを起動したら、とりあえず全部(教会1台、個人用2台、計3台)無事でした。(ファミリー文庫のPCはまだチェックしていない)
この教会の掲示板の書き込みを見ると、安否情報がいっぱい。私たちの知らない所で、こんなことが行われていたということを知り、申し訳なく、また、感謝いたしました。とりあえず、「ご心配いただき感謝」の書き込みをしました。
メールにも沢山の方々からのメッセージが残っていました。早いものでは3/11の地震津波当日のものもありました。私たちがおりました倉敷(岡山県)、五泉(新潟県)、函館(北海道)、渋川(群馬県)、行田(埼玉県)、それぞれの教会幼稚園関係者からのメール。返信を書きながら、覚えられていたことを知り本当に感謝でした。
幼稚園の園児は、全員無事の確認がとれました。しかし、お家を失い、職場を失ったご家庭もあります。石巻を離れ、実家に帰られたご家庭。残念ですが、どうすることも出来ません。
教会関係者もそうです。家を失い、職場を失ったご家庭。これからどるなるのか、どうしたらいいのか分からないという方々が沢山おられます。被災者支援センターの方でも、何か考えていただけるとありがたいです。
明日(3/25)は、幼稚園の給与支払日。取引先の石巻信用金庫が使えないので、蛇田の「七十七銀行」へ行く。長蛇の列。1時間かかってやっとお金をおろすことが出来ました。
3月25日(金) 建物の被害
エマオからK姉妹ご家族3名が物資を届けてくれました。ガスコンロ、ガスボンベ、水入れ容器、食料、靴下、バケツ、長靴等々。心のこもった「おにぎり」もいただきました。感謝、感謝。(物資感謝の再録)
教会牧師館幼稚園の建物の安全確認を高橋工務店に依頼、見てもらった結果、
基礎は大丈夫。外壁はコーキング修理で大丈夫
教会:窓の修理、玄関補修
牧師館:玄関タイル補修、外の給湯器修理(汚泥で基盤がいかれたか?電気が通じない)
幼稚園:軒下天井修理、ぱんだ組壁修理、2階職員室壁修理、カーテンレール修理、大きな棚補修、
ホールの壁が動き裂け目(どうするか?)
門:タイルの補修
以上のような結果である。費用は未定。
津波の汚泥でトイレ浄化槽がいっぱい。いつも利用していた業者に電話したが繋がらず(門脇なので会社が津波で流されたか?)、高橋工務店から適切な業者に依頼してもらうことにした。
S運転士に鶏小屋の掃除をしてもらう。チャボ2羽死亡確認。汚泥のため?汚水を飲んだか?
午後、片岡宣教部委員長他2名(合計3名)が教会を訪問してくださいました。水道が出ないので「水」をいただきました。感謝です。教会幼稚園の近辺は、水道がまだ出ません。掃除も出来ません。勿論、風呂にも入れません。
幼稚園の教職員に給与を支払う。支払いが出来て感謝。
3月26日(土) メールできない近所の方
メールで安否確認を依頼された近所の方に、メールを持参。家族4人無事であることを、メールで返信した。掲示板書き込み作業。
H.T.姉経由で大阪から物資が届く。(日本バプテスト大阪教会、高萩市T.Y.様より)感謝。必要な方に物資を持って行ってもらう。
3月27日(日) 善いサマリア人
午前10時30分 聖日礼拝
説教「善いサマリア人」(ルカ10:25~37) 讃美歌 532、493 礼拝出席:男3女4計7名
「隣人」として多くの援助をいただいた私たち。私たちもまた、困っている人、援助を必要としている人たちの「隣人」となって歩んで行きたい。大変な時であるが、みんなで力を合わせこの困難を乗り越えて行きたい。(メッセージより)
好文館高校の自衛隊の配給(今日から午前8時、11時、午後3時の3回)
午前8時の配給物(Aさんがゲットして来たもの)
天然水520ml 2本、りんごジュース果汁100% 280ml 2本、カップヌードル 2個、チーズかまぼこ(7本入り)2袋、サバイバルパン(缶詰)4缶、乾燥米飯(おかゆ) 3袋、魚の缶詰 3缶、ベビースターラーメン 5袋
午後3時の配給物(實朝子2人でゲット、一部食品の選択あり)
ナチュラルミネラルウォーター(1人2本)、乳飲料カフェラテ(1人1本)、歯ブラシ(1人3本、必要数O.K)、むき枝豆(1人1袋)、加熱食肉製品鶏つくね(1人1袋)、アルファ米五目ごはん(1人1袋)、洋菓子ベリーバーム(1人1袋)果物の缶詰orリンゴ。以上。2人で行ったので、この2倍です。
町内で配給しているもの(毎日午後2時30分~)
Aさんがゲットしてきたもの
菓子パンナイススティック5本、カップヌードル1個、牛乳200ml入り3個、ヤマザキのおにぎり3個、サージカルマスク50枚入り1箱、ティッシュ160組1箱、トイレットペーパー3個、以上。
實さんがゲットしてきたもの
菓子パン(ナイススティック3、うずまきチョコ&シュガー1、スナックスティック1、計5個)、牛乳200ml入り3個、ヤマザキのおにぎり3個、トイレットペーパー3個、以上。Aさんよりも少し遅く行ったので、少し少ないですが、以上が今日配給所から小鮒家かゲットしてきたものです。結構沢山あります。困っている人がいたら分けてあげたいです。でも、並べば誰でももらえるものなのです。
給水は、徒歩で5分の所にある「あいのや」で、自衛隊から18リットルボトル、3個分もらってきました。感謝。
以上のような状況ですので、食料等の救援物資は、今のところ大丈夫のようです。勿論、配給が行き渡らないところもあるとは思いますが…。避難所にいる人たちの物資も十分のようです。
問題は、これからのことです。避難所から各自宅に帰ったとき、どうなるか。どうするか。(家の片付け等のボランティアの必要性)
また、自宅を失った人たちはどうなるのか。仮設住宅に入居できる人はよいとしても、抽選にもれて仮設住宅にも入れない人たちはどうしたらよいのか。仕事を失った人たちはどうなるのか。問題は沢山あります。お祈りください。
エマオからジェフリー先生、N医師、W兄(ホザナ教会)が来てくださいました。4/29(火)から「ボランティア」が来てくださるとのこと。感謝です。仕事は沢山あります。よろしくお願いします。
夜、Y.T、Y.M.ご夫妻(医師元当教会員)が牧師館を訪ねてくださった。浜の方を回って来られたとのこと。
3月28日(月) 車で動けることの幸せ
8:00 Aさん、自衛隊から配給物ゲットしてくる。
U.Y.姉、A.S.姉、教会に来られる。
U.Y.姉が避難しているあたりは1日1回の配給らしい。小鮒家でゲットしてきた昨日の配給物、今日の配給物を全てU.Y.姉に持たせる。教会にあった救援物資と合わせると量が多くなり、私の車で送る。
津波で多くの車が流されたが、水をかぶって動かない車も多い。また、車が無事でもガソリンが手に入らない人もいる。自転車も流され、歩くしか移動する手段のない人は、ただひたすら歩く。これが被災地の現状。
教会幼稚園に水が来た。明日(3/29)から幼稚園を再開する。(幼稚園の掲示板参照)
明日(3/19)から「ボランティア」を受け入れる。
日本バプテスト宣教団(大上師ほか多数)が大街道小学校(避難所)へ救援物資を届けたが、ほとんど不要とのこと。小学校にいくつか降ろし当教会へ。当教会でも、必要なものを少しいただいたが、次第に物資は余りぎみになっている。
クロネコヤマトの宅急便が自宅に届いたそうである。(近くで)
3月29日(火) 先生、おうちが!
朝、函館千歳教会からI.M.兄が来石。教会および教会員有志のお見舞い金、救援物資を届けてくれた。なつかしい皆様方のお志、心より感謝。被災地を回る。自衛隊による救援物資配給も体験してもらう。
エマオからW.S.兄をはじめ9名のボランティアが来てくださる。主に園庭の汚泥を取り除く作業。感謝。
仙台福音自由教会(門谷師ほか)より救援物資届く。感謝。
Samaritan’s Purse の方々来石。被災地視察。
日本バプテスト連盟&ジョージアバプテスト連盟(酒巻師、Dr. John LaNoueほか)来石。主に医療チームの派遣について。
ジャクエツ、お見舞い金届けてくださる。感謝。
本日(3/29)より幼稚園再開(自由登園)。24名が集まった。「先生、おうちがなくなっちゃった!」という園児に絶句。抱きしめるしかない。保護者の方々に救援物資を持って行ってもらう。
被災後2回目の郵便物届く。聖ヶ丘教会からの「現金書留」(緊急援助資金)もあり感謝。
ベルリンの希望教会、渋川教会員S.H.兄からの「お見舞い義援金」振込の連絡。お祈りのメール等々。感謝。
O.K.兄のご好意で、被災後2度目の「お風呂」に入る。感謝。(牧師館の給湯器は津波の水をかぶり故障中、多くの家庭で故障しているため、修理に時間がかかる)
3月30日(水) 続々とボランティア
エマオより9名のボランティア来石。6名石巻山城町教会、3名栄光教会。当教会では、汚泥の処理、汚泥にまみれた幼稚園の遊具をきれいにしていただいた。感謝。
大韓イエス教長老会より5名来石。ボランティアが使用する自転車を持参。
牧師館の給湯器(ボイラー)故障(津波の水による)。見積約25万円。修理に1ヶ月はかかる。それまでは「お風呂」おあずけ。
仙台の聖公会のH兄より、衣類、学用品、絵本、飲物等届く。感謝
ボランティア6名、幼稚園2階の和室に宿泊。明日も頑張ってください。
聖書研究祈祷会 男2女2計4名出席、被災者等のために祈る。
3月31日(木) 幼稚園終了式
幼稚園3学期終了式を行う(28名の園児が集まった)
ボランティア4名石巻山城町教会へ。2名は当教会の汚泥処理、また、地震で散乱したものを片付けてもらった(教会2階)。「地震津波により発生した災害廃棄物の仮置場所」に汚泥を持って行く。悪路のため、私(牧師園長)の車壊れるが、まだ乗れる。ボランティアの調査団?(5名)来石。
教会員S.M.姉のご遺族、遺骨を持って教会を訪問。ご遺骨をあずかる。
幼稚園の保護者、子供用の下着を多数届けてくださる。感謝。
保護者等、必要な物資、適宜持って行く。
4月1日(金) そろそろ限界
川谷教会の柴田先生が問安に来てくださる。救援物資もいただく。感謝。
Samaritan’s Purse より依頼物資到着。
Samaritan’s Purse のボランティア5名、S姉宅の畳あげ。引続き、S宅実家へ。瓦礫の山整理。家に入れるようになった。家の中の整理。
Aさん、I.R.姉と共に病院へ。
エマオからのボランティア7名来石。6名がS.S.姉宅の汚泥処理。玄関前と駐車場をきれいにしてくれた。夕方1名加わる。8名幼稚園2階に宿泊。明日も頑張ろう!!
M.K.兄、救援物資を取りに来る。4/4(月)から仕事に復帰。工場は壊滅状態だが、こういうときこそ「社員を解雇せず、社員を救う」という会社の方針に感激した。
H兄が救援物資を届けてくださる。感謝。
大阪バプテスト教会からの救援をH.T.姉が届けてくださる。感謝。
特筆すべきこと。Samaritan’s Purse より教会用の自転車1台、自家用車を失い身動きがとれない被災者用自転車3台、石巻山城町教会へ1台、合計5台いただく。感謝。その他、小鮒家用として2台別口でいただく(小鮒家自転車故障中)。エマオからお借りている自転車は現在教会員が使用中。また、教会員の関係で別口として5台いただく。自家用車が使えない(津波で故障、廃車、ガソリンがない)お家では、自転車はとても便利である。取りあえず、いただいた自転車はボランティアにも使っていただく。感謝。感謝
家を失い、避難所生活をしているD.S.兄が、O.K.兄の車で救援物資を取りに来る。
今まで救援活動を小鮒家2人が中心になってやって来たが、そろそろ限界。教会、幼稚園の年度末の処理、新年度の準備等もあり、過労気味。スタッフのボランティアの派遣を要請したい。宿泊しながら(通いでも良い)、救援活動のお手伝いをしていただけるスタッフが欲しい。電話番、救援物資の仕訳、配布、ボランティアの受け入れ、その他多くの仕事がある。補助してもらえる人をお願いしたい。
4月2日(土) また会えることを祈る
T氏の紹介で、大阪「竹福」の地震支援物資(ハンバーグ100個)を石巻イオンまで取りに行く。園児に食べさせてほしいという。感謝。
ボランティア、S.S.姉宅の汚泥処理。午後はヘドロの中、津波でやられた家財道具を外に出す。ご苦労さまでした。まだ明日もこの仕事は続きます。
教会員、幼稚園保護者、野菜やコーヒー豆等届けてくださる。感謝。
シャローム石巻のメンバーほか4名、物資取りに来る。皆、今避難所にいるが、メンバーの一人はお家が壊滅状態。明日(4/3)東京の娘さんの所へ行くという。また会える事を祈る。
幼稚園保護者、園児と共に物資を取りに来る。
夕方、みどり野キリスト教会の西村牧師ほか、鹿妻での炊き出しのあと、当教会を訪問。
ボランティアの作ってくれた夕食をいただく。おいしかったよ。
4月3日(日) からし種一粒ほどの信仰
ボランティアの人たち、礼拝前に、N宅のお手伝い、また町内のゴミの分別の奉仕をしてくださった。
10:30 聖日礼拝
説教「からし種一粒ほどの信仰」(マタイ17:❴14-20)
「なんと信仰のない、よこしまな時代なのか。いつまでわたしはあなたがたと共にいられようか。いつまで、あなたがたに我慢しなければならないのか」と語られるイエス様。
にもかかわらず、困っている人、助けを必要としている人がいれば、助けてあげる。それがイエス様。
信仰の薄い、からし種一粒ほどの信仰もない私たちかも知れないが、イエス様に寄り頼み、「あなたがたにできないことは何もない」との御言葉に励まされ力を与えられて、頑張って行きたい。(大震災からの復興)
礼拝出席 男11女12計23名
ボランティア8名、神の家族教会の人たち5名も礼拝に出席してくださった。
礼拝の中で、幼稚園教職員の任職式も行った。
午後、ボランティア8名は、S.S.姉宅のワーク。
I氏ほか計4名、野菜等の物資を届けてくださる。感謝。
Sくんのグループ(3名)、自転車4台、車椅子1台、そのほか沢山の物資を届けてくださる。感謝。また立ち寄るとのこと。
宅配便が機能しているので、沢山の物資届く。(特に、幼稚園関係の物資) 感謝。
自衛隊のお風呂に入る。久し振りのお風呂。ボランティアの人たちも、ヘドロの臭い匂いをおとしました。
4月4日(月) 1日でも、一人でも
函館より電話あり。施設に入っており、体も動かないが、電話で祈ってくださった。ありがたいことです。
「神は 最後に一番よい仕事を残してくださる それは祈り
手は何もできない けれども最後まで合掌できる」(ホイヴェルス神父の詩より)
午前、ボランティア9名、S.S.姉宅へ
東神戸教会川上牧師、甲南教会中島牧師来石。犬小屋の掃除。午後、S.S.姉宅へ
S、Y、Tの介さんグループ、来石。物置の掃除。引続き、S.S.姉宅へ。夕食後、仕事へ。
H氏、救援物資を届けてくださる。感謝。
群馬地区より、小野牧師のグループ(4名)来石。被災地視察に同行する。
昼食16名、夕食12名、共に食する。
明日(4/5)のワーク場所(大曲)、人数確認(7名奉仕予定)
学生ボランティア、有給休暇をとってのボランティア、仕事の合間にお手伝いしてくださる方々、沢山の方々が奉仕してくださっています。入れ替わり立ち替わりですが、被災者、被災地に対し、何か自分に出来ることはないか、何かしたい。そういう人たちが沢山います。特に、中越地震や阪神淡路の地震等を体験した人たちは、恩返しの意味も含め、何かしたいという思いが強くあります。1日でもいい、一人でもいい、ボランティアの人たちが来てくださるのは本当にありがたいです。心より感謝しています。
4月5日(火) 昼食はバーベキュー
午前中、ボランティアは大曲のN宅へ。
エマオより新たにボランティア4名来る。
広瀬川倶楽部S氏、日本ハムのホットドックと焼き肉かるびを届けてくださる。昼食は、これでバーベキュー。地域の方々にも食べていただく。
幼稚園の保護者に救援物資を持って行ってもらう。
地震で閉まらなくなった幼稚園の物置のドアを修理してもらう。
かめ吉くんのお家を出す。
S.S.姉宅掃除。汚泥の入った土嚢を運び出す。
関東教区より3名来石。
自衛隊のお風呂に入る。
ボランティア宿泊10名。
G.J.姉、教会に宿泊。
4月6日(水) 帰る人、来る人
「3介さん」とお別れ。みんな頑張ってね。そして、ありがとう!!
ボランティア、被災されたU.Y.姉宅の家財を出す。近くの人に救援物資を渡す。
東海教区より4名、教団新報より1名来石。救援物資をいただき、また祈ってくださった。感謝。
日光市民活動支援センターからの救援物資届けてくださる(O氏)。感謝。同センターでは、月1回3年間は募金活動をするとのこと。
夜、新たにボランティア来る。
4月7日(木) わかめのにおい
ボランティア14名、ほか3名、計17名で食事。今日もがんばるゾー。
ボランティアを2つに分け、2個所でワーク。1グループは、S.Y.さんの指揮の下、被災されたA宅の家財道具、畳などの搬出。ヘドロにまみれながら、頑張りました。午後、S.S.姉宅へ。最後のヘドロ落とし。2グループは、S.U.さんの指揮の下、O.Y.姉の実家でわかめ(コンブ?)と格闘。(現地で昼食、午後も同じワーク)すっかり「わかめ(こんぶ?)」の臭いが染み込みました。
17名、自衛隊のお風呂へ。ヘドロとわかめ(こんぶ?)の臭いを落としました。
17名で楽しい夕食。睡眠…のはずでしたが。真夜中、大きな地震で目を覚まし、急遽、隣の「好文館高校」へ避難。避難所で一夜を明かしました。
4月8日(金) 昨夜の地震で再び
昨夜(4/7)23:49に起こった宮城県沖地震(石巻震度6)により好文館高校に避難した私たち17名は、翌朝(今日4/8)教会に戻って来た。電気も水道もストップ。電気は午前中回復したが、水道は夜になっても出ない。朝、取りあえず、水の確保のために自衛隊の給水車へ(歩いて5、6分の所)。40分待って18リットル入りのポリボトル4本に水をいっぱい入れてもらって帰る。
朝食後、地震で散乱したものを整理。道路状況を確認し、女性や学生(7名)のボランティアをエマオに送る。残り5名で幼稚園の庭の乾燥したヘドロを取る作業を行った。
昼食後は、避難所でよく眠れなかったので昼寝をし、夕方午前中の作業の続きを行った。(エマオから帰ってきた4名と共に)
夕食は、幼稚園の先生方が準備してくれたので、感謝し、みんなで楽しくいただいた。(総勢14名)
4月9日(土) 米、おもちゃ、スイーツ
今日は、久し振りの雨天。朝食後、ボランティア、T.R.姉宅の冷蔵庫を出す奉仕。
午前、ボランティア3名エマオに帰る。残りの者、自衛隊の給水車へ水をもらいに。引続き、幼稚園のお手伝い。午後、水道の水、復旧。感謝。4名のボランティアもエマオに帰る。寂しいが仕方ない。また会いましょう。
飛騨高山市のW氏グループ6名来石。マイクロバスで米10俵を届けるという話だったが、実際は大型バスに救援物資いっぱい。米も10俵どころの話ではない、はるかに多い。帰りがけに、門脇、湊浜の被災地を案内。津波による惨状を見てもらった。本当にありがとうございました。
故S.M.姉妹の仮葬儀を、ご遺族の方々と行う。東京からもご親族の方々がおいでくださった。
山形から来られたグループ3名より、子どもの「おもちゃ」を沢山いただく。感謝。
T氏、M氏より、東京のYURIKOさんたちが作ってくださった「スイーツ」をいただく。“All for One、 One for All. 東京にもいっぱい東北魂あります! Fight! Together!”。とっても励まされました。おいしい「スイーツ」子どもたちにあげますね。ありがとうございました。
夕方、山城町教会でボランティアをして来られたN氏親子(明治学院教会)来石。
夕食は、シンちゃん、ショウちゃんが作ってくれた「豚スキ」を4人で食べる。先に帰られたボランティアのみんな。ごめんね。
4月10日(日) 私たちの本国は天にある
午前10:30 聖日礼拝
説教「私たちの本国は天にある」(フィリピ3:17-21)
大震災津波のあと数日間、避難所生活の中で、私たちは「御言葉の真実」に出会った。イエス様は「何を食べようか、何を飲もうか、何を着ようかと言って、思い悩むな。」「命は食べ物よりも大切であり、体は衣服よりも大切である」と教えられた。私たちは、避難所生活の中で、食べることが出来れば、おにぎりでもカップ麺でも何でもよかった。ジュースが飲みたい、コーラが飲みたいなんて誰も言わなかった。ペットボトルの水があれば、ただそれだけでありがたかった。着る物だって、1週間、2週間、着の身着のままでも我慢出来た。何を食べようか、何を飲もうか、何を着ようかと言って、思い悩む余裕はなかったのである。しかし、このような現実の中で、実際に「御言葉の真実」を体験したのである。
「あなた方はこの世では旅人であり寄留者(仮住まいの身)である」(1ペトロ2:11)という御言葉も、津波で家を失い避難所(仮住まい)生活を強いられた私たちは、身をもって体験した。(聖書の御言葉は真実である)
また、津波で何もなくなってしまったあの瓦礫の山を見るとき、「私たちの本国(国籍)は天にある」という御言葉を思い起こした。
この世の生活も大切。大震災で破壊された町が一日も早く復興して欲しいと願っている。そのために、私たちに出来ることは何でもして行きたい。でも、「私たちの本国(国籍)は天にある」という御言葉にも耳を傾ける者でありたい。御言葉の真実に出会い、御言葉によって励まされ、力を与えられて、この困難な時を乗り越えて行きたい。
シンちゃん、ショウちゃん、昼食作り。教会の人は礼拝堂に卒園式の「雛壇」の準備をした。おいしい昼食をいただいたあと、W.S.ちゃん幼稚園のトイレ掃除。いよいよ明日から幼稚園の新年度が始まる。みんな元気に登園してくれるかな。
遊楽館(避難所)にY.T.姉妹を訪問。Y.T.姉は、震災3日後、自衛隊に発見され赤十字病院へ。その後避難所である遊楽館に移された。明日、義理の娘さんの息子さんが横浜から来られる。自宅の様子を見たあと、一時、義理の娘さんの妹さんがおられる仙台へ。そして横浜へ行かれる予定。遠い所へ行かれるのは寂しい。でも、これが現実。
4月11日(月) 少しずつ
大地震と大津波から1ケ月。石巻の町はほんの少しずつではあるが変わってきている。瓦礫の中に道が出来、車が通れる道も少しずつ増えて来た。教会近辺では、水、電気、電話等も使える。都市ガスはまだ来ていない。(教会はLPガスでガスも使える)しかし、給湯器が故障している家庭がほとんどで、私たちもボランティアの人たちと一緒に「自衛隊のお風呂」を利用している。業者によれば、給湯器の部品は福島で製造してが、原発事故のため工場が閉鎖中。しばらく部品の入手が困難だそうである。しばらく(数ヶ月)は、自衛隊のお風呂で我慢するしかない。
スーパー、コンビニ、ホームセンターなども少しずつ営業を再開している。「モノ」は十分ではないが、新鮮野菜(ほうれん草、長ネギ、玉葱、きゅうり、いちご、じゃがいも、ニンジン、トマト、えのき茸等々)、たまご、肉、魚、刺身等も手に入る。長靴、靴、靴下、下着類、洗剤、トイレットペーパー、炊飯器、スコップ等々も入手可。勿論、お金があればの話ではあるが。
ガソリンスタンドも少しずつ再開。以前のように並ばなくても買えるようになった。灯油もO.K。
近くの銀行、郵便局はまだ利用出来ないが、車で15分(自転車で20-30分)の所では利用可。銀行の窓口利用は1時間位かかるが、ATMはそれ程待たなくても利用出来る。
多くの車が津波で廃車になった。車を現地で購入するのは難しいが、親戚知人に頼んで他府県で購入、取得する者もいる。また、ネットで購入し搬入してもらう人もいる。決して手に入らない訳ではない。が、お金が必要である。
2011年度始園式を行う。園児16名が集まった。子どもたちの元気な声に励まされる。でも、地震と津波の恐怖を体験した子どもたちは、少しの揺れでも、また広報のアナウンスにも敏感に反応する。親となかなか離れられない子もいる(赤ちゃん返り)。不安を持つ子どもたちであるが、お友だちとの再会を喜んでいる。
園バスの運行はしばらくお休み。4/11(月)~19(火)までは「自由登園」で、お家の方が送り迎えできる園児だけの登園となっている。4/21(木)から園バス運行予定。道幅や狭くなっているため(通れない道もまだある)、今までのようなコースは走れない。広い道まで出てもらうしかない。
ボランティアには、幼稚園保護者の関係のお家のワーク。また、園庭の整備をしてもらった。感謝。


