「終わりの時に」

マタイによる福音書 24章36~44節

 

 説教  川上 直哉 牧師 (東北HELP事務局長)

 

 2011311日、東日本大震災が発生しました。2万人に迫る人々が命を失い、無常ということを思い出させられた出来事となりました。深く深く、これまでのあり方が問い直された出来事でした。日本は生まれ変わるのかなと、そういう感慨がそこには自然と生まれたことでした。しかし、実際はどうでしょうか。

  312日、原子力発電所が爆発しました。その結果、十万という単位の人々が故郷を追われました。あれから三年半が経とうとしています。そしていま私たちは、元に戻ろうという強い力を感じています。

  そういえば、ノアの方舟の物語の最後は、神様の祝福によって終わっています。しかしそれは、春夏秋冬の流れはあの大洪水によっても止められるものではないのだと、語っているように思います。ゆく川の流れは…と語られ、祇園精舎の鐘の声とうたわれる、その無常ということを、今、私たちは感じさせられるのかもしれません。

   しかし他方で、不気味なことばかりが聞こえてきます。通常60倍の確率で小児甲状腺がんが見つかっている、ということは、福島県立医大の先生によって公開されました。海上保安庁の報告によると、2012年の東京湾の水は、福島の沿岸から宮城県牡鹿半島の南部に至る海域とほぼ同じく、非常に高い放射性セシウムを含んでいることが、つい最近、発表されました。水沢の牧師の息子さんの尿からはセシウムが検出されています。東京都葛飾区役所によると、同区内の200か所以上が、除染を必要とするホットスポットであるけれども、まだ対策は講じられていないとのことです。突然死や若年性白血病が、福島市に居住する私の知人の身に起こりました。そして仙台に住む私の二人の娘に、甲状腺の嚢胞が見つかりました。

  私たちは、水に世界が飲まれていく様子を見たはずです。しかし世界は変わらずに回ってゆく。その中でやはり、何かが終わりつつあるような予感がします。そうした時、教会はいつも聖書の中の黙示を読みました。福音書にも、黙示があります。それがマタイによる福音書24章から25章です。福島に通いながら、今、この個所を読んでいます。皆さんとご一緒に、今日、また新しくこの個所を読んでみたいと思います。

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