「不条理と祝福」

創世記 27章18~29節

 

 説教  佐藤 真史 牧師 (東北教区被災者支援センター・エマオ専従者、

                   いずみ愛泉教会担任教師)

 

 今日の箇所をよく読むと、ヤコブはこの物語の中で3回嘘をついています。

 まず、ヤコブは自分をエサウだとハッキリと嘘をつきました。また神さまがこのご馳走を与えて下さったのだと神さますら利用し、最悪の嘘を重ねています。そして、最後に再び自分をエサウだと偽るのです。そしてイサクに疑われつつも、何とかヤコブは祝福を騙し受けることに成功しました。この後のヤコブにはどのような人生が待っていたのでしょうか。聖書を読むと、父イサクが騙されたことを知った兄エサウは激怒し、ヤコブの命を狙います。ヤコブは逃亡者となりますが、逃亡先で今度はヤコブ自身が反対に騙されるということも起こります。ほんの一時で帰ってくるはずだったはずの逃亡生活が、結果的に20年間にも及んでしまいます。祝福を得たはずのヤコブは、不条理の中へと突き進んでいってしまうのです。

 しかしそれでも神さまからの祝福は、ヤコブの下に置かれ続けたのです。

 私たちはこのヤコブ物語を通して気付かされることがあります。それは、この生々しい現実の中に、紛れも無く私たちの弱さ・罪が刻まれている現実の中に、時には不条理としか思えない現実のただ中に、神さまは祝福を置かれているのだと。その意味では、神さまの祝福は私たち人間の思いを越えて、不条理の中ですら働いているのだと思います。

 荒井英子牧師(元:多磨全生園秋津教会牧師、恵泉女学院大学准教授)の遺稿集『弱さを絆に』(教文館)の中に、とても示唆深い一文があります。

人は強さや大きさを絆にする時、すぐさま効率を最優先させ、排除の論理を振りかざし始めます。しかし、弱さを絆にしていく時、弱さには不思議な力があることに気づかされます。誰をも排除せず、お互いの賜物を生かして、和らぎ合う、心地よい場所を作り出せるからです。ここに生きていてもいいんだ、そして「お互いさま」の中で許しあい、補い合って作る安心と信頼。肩の荷がおりませんか。

 私たちそれぞれが直面しているこの不条理な現実のただ中で、弱さを絆にして繋がり合い支え合う、そのような場へと私たちは促されているのではないでしょうか。

コメントは受け付けていません。