「マナの意味」

出エジプト記 16章1~20節
ヨハネによる福音書 6章34~35節

 

 出エジプトを果たしたイスラエルの民は、約束の地に入るまでに40年に及ぶ荒野の旅を経験しました。その中で民はその弱さや破れをあらわにし、そうした小さな者をなお支え導かれる主に出会ったのでした。

 象徴的な出来事が、マナの物語に示されています。食べるものがないと不平を洩らした民に、主は天からの不思議なパンを与えて養われました。15「これは一体何だろう」との言葉、“マナ”がそのままその名になりました。

 民111~では、民の罪に焦点が当てて同じ物語が語られています。“エジプトには肉や魚、きゅうりやメロン、葱や玉葱やにんにくもあった。今は、どこを見回してもマナばかりだ”と不平をいう民に、主は大量のうずらを送られました。が、食べきれないほどの肉で民は疫病に倒れ、「貪欲の墓」に葬られたのです。主のみ業と約束を仰いで今を乗り越える力を与えられた(151~)その同じ民が、目の前の貪欲に縛られたとき罪にあって滅んでいったのでした。今日の社会も目先の豊かさばかり優先し歴史と未来を省みないならば、同様の破滅へと歩むのではないでしょうか。

 申8章で、マナの出来事の意味について 3「人はパンだけで生きるのではなく…主の口から出るすべての言葉によって生きることを…知らせるためであった」と記され、それは16「苦しめて試し、ついには幸福にするため」の主のわざだったと明かされています。私たちが出会い経験する事柄の意味を目に見えることだけで判断することなく、広く深く訊ね求めるべきことが指し示されていることを思います。

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