「途上に耐える」

マタイによる福音書 13章18~30節
詩編 42編1~9節

 

 震災発生以降の人々の恐怖や不安に乗じ、様々なカルト集団が被災地に入り込み信者を獲得しようとしているとの憂慮すべき状況があり、昨年9月にはこの課題をめぐっての日本脱カルト協会研究集会が仙台で開かれました。

 多くのカルトに共通するのは、恐怖・不安を煽る一方、これを全面的に解決できるとする世界観の鋳型に人を嵌め込むことです。その世界観はある種の肯定と安定を与えてはくれますが、依存を生み物事を考え批判することはできなくなります。

 長くカルト問題に取り組んでこられた浅見定雄氏(東北学院大学名誉教授)は、真の宗教は人格を奪うのではなくこれを受け入れ生かすのであって、今という課題ある途上にも耐えて歩み行かせるものではないか、と論じておられます(『新宗教と日本人』、晩聲社)。

 18・24「種」は成長の途上で多くの試練を経験します。が、耕す者は喜ばしい収穫の時を信じてこれを蒔き続けるのです。いや「種」自体が課題を乗り越えて喜びに到る力を有しているといった方が良いかもしれません(マルコ427)。24節~の毒麦の譬は、主はすべてをご存じの上でついにはすべてを治めされることを信じ、悩みも課題もある今を耕し続けることの大切さを告げています。

コメントは受け付けていません。