「祈りの家でなければ」

ルカによる福音書 19章41~48節
歴代誌下 6章18~23節

 

 エルサレム神殿はまずB.C.10世紀にソロモン王によって建てられました。間口約10m・奥行き約30m・高さ約15mに及ぶ、壮麗な石造建築でした。が、その奉献に際しソロモンは、神殿が神の家足りえないと祈りました(18節)。では神殿とは何なのか。それは主の御名が置かれた所(20節)であり、神への19「叫びと祈り」が捧げられるところだと彼は語っています。

 都エルサレムに入られた主イエスはまず神殿の境内に入られ、46「わたしの家は、祈りの家でなければならない」との声と共に、賽銭用貨幣の両替屋や犠牲の動物を売る商人たちを追い出されたのでした。なぜこんな激しい実力行使が必要だったのでしょう。

 それは、ソロモンが祈った19「叫びと祈り」との言葉に指し示されているように思います。この言葉も激しさを含んでいることを思いますが、昨年の大震災をくぐった私たちはその言葉の意味と重さがわかることでしょう。拠るべき様々なものを失ってもはや叫び、祈らざるを得ないそうした思いがないがしろにされてはなりません。でもまだ2年にならないのに、日本では原発の再稼動が始まり、経済成長が最重要な課題だと語られています。46「祈りの家」を確保せよとの主の憤りは、今日の私たちにも向けられているのではないでしょうか。

 教会は神殿ではありませんが、主の御名が置かれた所に違いありません。この主の言葉を内に刻みつつ、歩みを進めていきましょう。

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