「最後の犠牲」

ヨハネによる福音書 18章1~14節
イザヤ書 53章1~5節

 

 主イエス捕縛の場面に現れる14「一人の人間が民の代わりに死ぬ方が好都合だ」との大祭司カイアファの言葉は、もともと1147~で語られたものです。このときユダヤ最高法院において、イエス殺害に向かうべきことが決議されたのでした。さらに遡ると、主イエスを憎む者たちの中での殺意はすでに518の段階で起こっていたことが記されています。ヨハネ福音書は、罪に操られ真理を拒み続ける世に対しての、主イエスの戦いの軌跡とも言えます。

 最高法院は祭司らサドカイ派、律法学者らファリサイ派、長老と呼ばれる有力者たちなど立場の異なるメンバーで構成されていましたが、当時の体制を維持する上で邪魔なイエスを国益のために抹殺することにおいて一致したのでした。

 先月の東日本大震災国際会議(主催:日本基督教団)でなされた姜尚中氏による記念講演のタイトルは、“犠牲のシステムを超えて-ミナマタ・ヒロシマ・フクシマ”でした。多数の利益のために少数者を犠牲として良しとする深い罪を、人間は繰り返してきました。14節のカイアファの言葉はこの深い罪を露わにしたものであると共に、その罪の連鎖から世を救い出すための神の業を指し示したものであったとヨハネ福音書は語ります(1151)。

 主イエスの十字架に私たちは自らにも通じる深い罪を見ると共に、私が最後の犠牲となったのだからあなたたちは再び誤りを犯すことなく命を選びとりなさいとの主の呼びかけを聞くのです(ローマ64)。

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