「神の長い旅と私たち」

ルカによる福音書 20章9~19節
創世記 1章26~31節

 

 9「ぶどう」は荒地に実りをもたらす作物であり、 9「ぶどう園」とは神の祝福を受けたこの世界を表しています(イザヤ5章)。従ってこの 9「長い旅に出た」13「主人」とは主なる神であり、私たちはこの世界なる 9「ぶどう園」を預かっている 9「農夫」ではないか、と語られています。

 9「農夫たち」は13「主人」から正しい管理とよき実りを期待されていました(創1:26~31)。ところが、送られた101112「僕」たちを排斥し、13「愛する息子」を殺してしまうのです。14「そうすれば…我々のものになる」との言葉は、あのバベルの塔を建てて神に成り代わろうとした罪の姿そのものです(創11:4)。このような愚かさを、今日の人間も繰り返しているのではないでしょうか。

 私たちの今が神の 9「長い旅」、すなわち創造から完成に至る歴史の内に置かれていることを仰ぐことは重要です。そこからこそ、今に確かな位置づけと方向が与えられるからです。そして神の導く歴史の中心には、十字架の死を経て救いの17「隅の親石」となられた主イエスのわざが刻まれています。私たちの世界は「見よ、それは極めて良かった」(創1:31)と語られる創造の恵みと、犠牲を払ってなおこれを愛する大いなる導きの内に置かれています。この 9「ぶどう園」を正しく耕す責務と期待が与えられていることを改めて銘記せねばなりません。

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