東日本大震災3周年を覚えての礼拝 「繰り返し立ち帰るところ」

歴代誌下 6章17~25節
マルコによる福音書 5章18~20節

 

 大震災発生2日後にまもった礼拝も、レント第1主日礼拝でした。礼拝堂のガラスが砕け落ちたため、教育館でまもった礼拝は忘れることができません。集まったのはいつもの約半数の44名でした。連絡のつかない方々のことを思いつつ、祈りを合わせました。あるメンバーは、讃美歌に心が震え、聖餐のパンに涙がこぼれたと回想しておられます。

 今年113日に開かれた教区伝道研修会の場で、講師の越川弘英牧師(同志社大学キリスト教文化センター)は3.11以降礼拝は変わったのか?、と問いかけられました。当教会でなされる祝祷の言葉など、変わったものはあります。でも課題や危機から創造と恵みの神のもとに立ち帰り、励まし支えられて再び歩み出すという礼拝の本質が変わることはありません。当教会出身の長倉望牧師(新潟教会)は震災に向き合いつつ礼拝をまもる中で、“互いの命を喜び合うこと。悲しむ人と共に悲しむこと。隣人のために働くこと。弱さを大切にすること。支えあって生きること。共に祈ること。わたしたちが大切にし、目指してきた‘いつも通り’のことを、より真摯に、より深く、より多くの人たちと共になしていくことを確かめ合うことができました。…教会の歩みはいつの時代にも様々な困難の中を‘いつも通り’に聖書のメッセージに導かれながら、命を守り育て、命を共に生き、命とお別れする時を重ねてきたのです。時に涙し、時に笑いながら、私たちの命に働かれる神さまのみ業を発見し続けてきたのです。”と書いておられます。

 ソロモン王は神殿を奉献したとき、ここは20「御名」が置かれ19「叫びと祈り」が聞き届けられる場所、罪と課題から24「立ち帰って御名をたたえ」る場所だと祈りました。私たちは礼拝へと立ち帰る中で、私たちのために十字架に歩まれ復活を遂げて導かれる主に繰り返し出会い、再びそれぞれの歩みへと派遣されていくのです。

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