「耳を傾けるということ」

テモテへの手紙 二 4章1~5節
申命記 12章8~12節

 

 テモテへの手紙が書かれた2世紀初め、教会は多くの異端との戦いを経験しました。 3「自分に都合の良いことを聞こうと」は、直訳すると“耳をくすぐってもらおうとして”です。さまざまな異端の誘いはあろうと、そこにあるのは自己中心を実現しようとする偶像礼拝なのだとその正体を見据え、この箇所は警告を発しています。

 申命記28には、「あなたたちは…それぞれ自分が正しいと見なすことを決して行ってはならない」とのモーセによるびっくりするような言葉があります。これは、約束の地に辿り着いたらまず主なる神を礼拝せよ、との文脈の中で語られています。礼拝とは徹頭徹尾、神の言葉を聞くことだとの強い指し示しがここにあるのです。士師記176で「それぞれが自分の目に正しいとすることを行っていた」とほぼ同じ言葉で指摘されているのは、偶像を刻んで神殿にまつり、祭司まで立てての私的礼拝の企てでした。“私”に属する礼拝というのは、ありえないのです。

 “悔い改め”と訳されるメタノイアの原意は、向き直ることです。耳をくすぐってもらっても正しい方向へ向き直ることはできません。冒頭で 1「神の御前で」と告げられています。自らに痛いことであっても、すべてを司られる神の語りかけに耳を傾けるときに、私たちは歩む方向を整えられます。 1「その出現とその御国を思いつつ」との言葉は、そこに立って与えられる完成の展望こそ課題ある今を歩み行かせる力の源泉なのだと語りかけているように思います。

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