「ゆだねられているもの」

テモテへの手紙 一 6章2~10節
創世記 9章1~17節

 2世紀初め、地中海世界を中心に成長していった教会は異端との戦いを経験する中で、福音の何たるかを確認していきました。現れた異端の中には 5「信心を利得の道と考え」て、現世利益を求めるものもあったようです。

 これに対しテモテへの手紙の著者はいくぶん皮肉っぽく、確かに本当の信心は 6「大きな利得の道」だと言えよう、と言います。なぜなら自らの生を超えて(7節)神を仰ぐ者は 6「満ち足りることを知」り、 9「欲望」から解放されるからです。

 この箇所以降、著者は20「ゆだねられているもの」という言葉を多用します(Ⅱテモテ1:12・14、2:2)。私たちが今手にしているもの、それは 7「何も持たずに…生まれ、世を去るときには何も持って行くことができない」私たちが恵みにあって神から委託されているものだと知るときに、それらを正しく有効に用いることができるとの指し示しがここにはあります。

 ノアの洪水物語で、神は新世界の出発にあたっての再祝福・再契約を人間だけではなく動物たちにも与えられました(4・10節)。ゆだねられた世界の管理を人間たちが正しく果たすか、動物たちはお目付け役としての位置を与えられているのだと言えましょう。このとき神は、自ら世界を破滅させることは二度としないとの憐れみのしるしとして虹を与えられました。人間はこの恵みを頂くと共に、ゆだねられた世界に調和の虹をかける責務を合わせて与えられていることを思います。

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