「愛をもってこれを貫く」

エフェソの信徒への手紙 3章7~9・14~19節

 説教  山下 智子 牧師 (新島学園短期大学宗教主任)

 1890年1月23日、新島襄は神奈川県大磯の百足屋で亡くなった。同志社を総合大学に発展させるという志半ば、満47歳を目前にした時だった。

 昨年の大河ドラマ「八重の桜」によって、八重はもちろんだが、襄の生涯にも改めて関心が高まったように思う。放送された襄の臨終シーンも大変心を打つものであった。襄は自分の命が尽きようとするときに、傍らにいる教え子で牧師となっていた小崎弘道に「エペソ人(エフェソの信徒への手紙)」を読んでほしいと願う。小崎は「わたしは、神の力がわたしに働いて、自分に与えられた神の恵みの賜物により、福音の僕とされたのである。すなわち、聖なる者たちのうちで最も小さい者であるわたしにこの恵みが与えられたが、それは、キリストの限りない愛を全ての人に宣べ伝えるためである」と3章7~8節を読みあげる。

 実はエフェソ3章は1月27日に同志社で行われた襄の葬儀で読まれたものである。1~21節まである中、7節以下の使徒パウロの言葉は、襄の伝道者としての歩みに重なり、襄が何を大切に生きたのかを良く表しており、この部分がドラマに用いられたのは非常に的確で、襄の信仰をより多くの人が感じとる助けとなったことだろう。

 「愛をもってこれを貫く」、この言葉は襄が1886年、東華学校(同志社分校)の設立準備のために訪れた仙台(現・仙台東一番丁教会)で行った説教の一節である。このとき襄は「『キリスト教とは何か』と人から尋ねられたら、『愛をもってこれを貫く』と答えたい」と語り、キリストが自分を十字架にかけようとする敵のために「父よ、彼らをお赦しください」と祈られた姿に触れている。

 キリストが、またそのキリストを手本として生きた襄が、その生き方や言葉を通して示したのは、その愛を貫こうとしつづけることの大切さではなかったか。この不可能と思えることを可能にするのもキリストの愛であり、この愛こそが私たちをキリストの近くへと引き寄せ、今も私たちの心に働きかけるのである。この福音は襄により既に128年前にこの仙台の地でもはっきりと伝えられており、私たちはその恵みの内を歩んでいる。

 キリストの広く、長く、高く、深い愛の豊かさに満たされ、どんな時もそれぞれの与えられた場で、精一杯、愛を貫こうとし続ける私たちでありたい。

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