「夢を見、幻を抱く」

ヨエル書 3章1~5節
エフェソの信徒への手紙 1章11~14節

 新しい年2014年最初の礼拝に、ヨエル書から 1「夢を見、…幻を見る」との箇所を開きました。特定秘密保護法成立、国家安全保障会議(NSC)創設…と国民主権の原則を危うくさせる施策が打ち出され、憲法解釈を変更しての集団的自衛権行使が目論まれるなど、社会情勢は危険な方向に傾いています。果たしてどこに「夢」・「幻」を見ることができるでしょうか。

 前途に種々の可能性をもつ 1「若者」が夢や幻を抱くことは容易かもしれません。でもあわせて 1「老人は夢を見」と語られています。ここでは、自らの可能性を超えたところからの「夢」・「幻」のことが告げられていることに留意すべきです。

 「夢」と聞くと、M.L.キング牧師が“I have a dream”と繰り返し語った1963年ワシントン集会での演説を思い起こします。集会には25万人が集まるなど運動は高揚する一方、弾圧のテロリズムも吹き荒れていました。そうした中でキング牧師が語った「夢」とは、“かつての奴隷の子孫と奴隷主の子孫とが兄弟愛のテーブルに着く”“子どもたちが皮膚の色によってではなく人格の深さによって評価されるようになる”という遠大なものでした。神こそがついには歴史を希望へと導かれることに目を向けるときに、私たちは困難な現実にも立ち向かえることをキング牧師は語ったのでした。

 主の 1「霊」が注がれるときに、 1「老人は夢を見、若者は幻を見る」のだと告げられています。悩みある地に11「キリスト」が来られ、課題ある今に13「聖霊」が働いておられることに、私たちは12「神の栄光をたたえ」つつこの時を歩み行くことができます。

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