「ガリラヤへ行け」

マタイによる福音書 28章1~10節
イザヤ書 8章23節~9章6節

  

 ドラマ“八重の桜”でも描かれたように、新島襄は1884(明治17)年外遊中のスイスで呼吸困難に陥り、遺書をしたためました。幸い大事には至らず、アメリカに渡った新島はニューヨーク近郊の温泉で3ヶ月弱湯治をして体調を整えました。この間、日本伝道の礎としての東北伝道のビジョンを与えられ、これがその後の東華学校開校、そして当教会創立へとつながっていくのです。

  すでに“白河以北一山百文”と揶揄されていた東北になぜ目を向けたのか、興味深いところです。八重が会津出身であったこと、二人で1882(明治15)年に会津・米沢などを旅行したこと、山崎為徳・片桐清治といった水沢出身の学生に目を留めていたことなどいろいろ思い浮かべることができます。が、主イエスご自身が辺境のガリラヤにまず福音を語られ、復活を遂げられた後もガリラヤへ向かわれた(7節)と福音書が告げていることが新島の思いの根底にあっただろうことを見過ごすことはできません。

  イザヤ823~には、B.C.8世紀当時戦乱と占領の苦悩にあったガリラヤの地を主は捨てることなく、やがては救い主を送って希望をもたらされるとの預言があります。この 6「万軍の主の熱意」は700年余りを経て、主イエスにおいて成就したのでした。

 東華学校一期生で、当教会最初の受洗者である一力健治郎は、揶揄された東北の地に文化の花を咲かせてみせようではないかと“河北新報”を創刊しました。小さなものに目を留め、大いなるご計画をもってこれを導かれる主のみわざの内に私たちは置かれていること、この導きに応えてそれぞれのガリラヤへと踏み出したものたちがあったことを知ります。

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