「キリストの平和が」

コロサイの信徒への手紙 3章12~17節
イザヤ書 26章7~13節

 

 11「ギリシア人とユダヤ人、割礼を受けた者と受けていない者、未開人、スキタイ人、奴隷、自由な身分の者の区別」との語は、1世紀当時に人々を隔てていた民族・習俗・階級さらには蔑視の現実を示しています。福音にあってこれらを乗り越えていこうとの試みは内外の価値観との衝突、さらには自らをも縛ろうとする罪の諸力との戦いをも意味していました(3~10節)。

 こうした戦いを踏まえ、著者は15「キリストの平和があなたがたの心を支配するようにしなさい」と語ります。今日併せて開いたイザヤ26章に現れる11「敵対する者に向けられるあなたの火が彼らを焼き尽くしますように」といった言葉に、私たちは当惑します。が、11「敵対する者」とは自らの内にも立ち現れる罪の諸力を指しているとも読み得るのではないでしょうか。神13「以外の支配者がわれらを支配」する事態は、私たちの内外にも繰り返し現れるのです。

 主イエスはある時、悪霊を追い出しても空き家とするならばより強力な悪霊が舞い戻ってくるだろうとの譬話を語られました(マタイ12:43)。むしろ神の霊に満たされて歩み出すことが必要です(使徒2:4)。そのためには16「…互いに教え、諭し合い、…神をほめたたえ」る礼拝にあって、また他者に開かれ共に生きる生活にあって(12節)古きを砕かれ新しい自らに導かれることが大切だと今日の箇所は教えています。

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