「世界中至るところで、あなたがたのところでも」

コロサイの信徒への手紙 1章5~20節
詩編 33編1~22節

 

 8月15日に東京に行った際、靖国神社に立ち寄ってきました。大勢の人々の中でも、若い世代の姿が目立ちました。同神社は日本のために命を捧げた“英霊”とされる軍人・軍属などの限られた者を祀る施設です。様々なものが揺らぐ不安な時代、狭い世界に身を置くことが自己確認の手段となっているのではないかとの危惧を覚えます。

 今日開いたコロサイの信徒への手紙は、伝道者パウロの流れに立つ者によってA.D.80年頃書かれたと考えられます。当時の地中海世界にもユダヤ人・異邦人の対立、自由人・奴隷の別など、人々を隔てる障壁は多くありました(3:11)。そうした中この手紙は、 5「福音という真理の言葉」は 6「世界中至るところで…あなたがたのところでも」隔てなく 6「実を結んで成長して」ゆくと告げるのです。広い地平へと人々を導き出すこの言葉は、キリストの十字架こそ全世界に和解をもたらすものだとの確信から出ています(20節)。

 昔も今も、世界には多くの課題があります(3:18~、4:3等)。しかし求められているのは狭い世界に閉じこもることではなく、主のみ旨に支えられ導かれ、それらに相対してひとつひとつを変えていくことであり、忍耐また労苦にも尊い意味があることをこの手紙は語っています(11・29節)。

コメントは受け付けていません。