「闇が力を振るっている」

ルカによる福音書 22章47~53節
詩編 139編1~18節

 

 レント(受難節)が始まってから、後奏時にオルターのろうそくを1本ずつ消しています。本日の礼拝後、残った1本は金曜の受難日聖餐礼拝にて消します。また受難日聖餐礼拝では別の7本にも火を灯し、7つの聖書箇所を味わいつつ順に消火します。その中で浮き彫りにされていくのは今日の私たちにも共通する罪が「世の光」(ヨハネ8:12)なる主イエスを十字架に追いやり、68「闇」の支配が訪れたのだということです。

 カトリック教会は伝統的に、“傲慢・嫉妬・憤怒・怠惰・強欲・暴食・色欲”を七つの大罪と呼んできました。でも、人間は信仰の名においてすら人を断罪し、殺戮に走ることができるのです。その罪の根深さを思わざるを得ません。法王庁は2008年に、“遺伝子改造・人体実験・環境汚染・社会的不公正・貧困・過度な裕福さ・麻薬中毒”を現代の大罪だと発表しました。

 主の受難を告げる聖書から浮かび上がるもう一つは、主ご自身が十字架を最大の使命とされ、その方向へ進まれたことです(ルカ13:3)。Ⅰペトロ3:18~19は、「キリストは、肉では死に渡されましたが、…霊において…捕われていた霊たちのところへ行って宣教されました」と、主の十字架は68「闇」の支配する世界に消えることのない光をもたらすわざであったことを告げています。

 十字架には人の罪の闇の深さ、その漆黒をも照らし出す主の救い、その両側面が示されています。その十字架を、代々の教会は掲げ続けてきました。

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