平和主日礼拝 「あなたがたは地の塩である」

マタイによる福音書 5章13~16節
詩編 107編33~38節

 

 その言葉に慰めと希望を求めて集まってきた群衆に、主イエスは13「あなたがたは地の塩である」と語られました。“塩になれ”“塩を持て”ではなく、13「地の塩である」と言い切られていることを心に留めたく思います。塩はありふれたものでありながら、欠かすことのできないものです。この言葉を通して主イエスは、取るに足りない小さな者も互いに欠くべからざる役割を与えられた一人一人であることを示されたのです。

 続く13「だが、塩に塩気がなくなれば…」との言葉の重さが伝わってきます。それぞれに与えられた役割を忘れて周りに同化してしまうとき、13「もはや…投げ捨てられ」るよりないのです。無責任・無関心なあり方が罪の力に侵食され、やがてこれと一体となって悪魔的な力を発揮することは、聖書にも(27:23)歴史にも示されている通りです。

 ヘブル語で平和を意味する語“シャローム”は平穏無事に留まらず、神の祝福に満たされた豊かな世のあり様を指します。課題多く混迷する今日にあっても、平和は世の原初また目標において指し示されたものであることを胸に刻み(創1:31、マタイ6:33)、与えられた今に役割を果たして行きたく願います。それは、平和の祝福を食い破ろうとする罪の力とのねばり強い戦いをも意味しています。

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