イースター礼拝 「なおも先へ行こうと」

ルカによる福音書 24章13~35節
エレミヤ書 33章1~11節

 

 讃美歌218の詞は、今日開いたエマオ途上の箇所から着想されました。作者H.F.ライトは自らの人生の夕暮れを覚え、二人の弟子が願ったように(29節)“主よ、共に宿りませ”と歌ったところからこの賛美歌が生まれたのだといいます。

 復活の主イエスが同行してくださっているのに、目が16「遮られていて」二人の弟子はそのことがわからず、なお17「暗い顔をして」歩んでいたのでした。それは、必ずしも大切なことが見えず一喜一憂して歩む私たちの姿でもあります。でもそうした者の“共に宿りませ”との願いに、主は応えてくださるのです。

 でも復活の主は、28「なおも先へ行こうとされる様子だった」のでした。31「二人の目が開け」た時31「見えなくなった」主イエスは、目指す所に向かわれたのではないでしょうか。主はどこを目指されていたのでしょう。

 B.C.6世紀、新バビロニア帝国によりさし迫った破壊と亡国に人々の目が釘付けられていた中、預言者エレミヤは 3「わたしを呼べ。わたしはあなたに答え、あなたの知らない隠された大いなることを告げ知らせる」と、その後にもたらされる 6「いやしと治癒と回復」を指し示しました。主は、人の思いをはるかに超えて導かれ、み手をふるわれるのです。

 マルコ福音書によれば、主イエスは「復活した後、あなたがたより先にガリラヤへ行く」と言っておられました(14:28)。それは、私たちの生活の現場を指しています。私たちが悩みや課題にぶつかる中にも、復活の主が15「一緒に歩き」、希望の方向へと先立ち導いておられることを仰ぎたく思います。

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