「ピラトのもとに苦しみを受け」

ルカによる福音書 23章13~25節
コヘレトの言葉 3章16~17節

 

 ローマ神話には、正義・法を司る女神ユースティティアが現れます。左手で公平を表わす天秤を掲げ、右手に裁きの執行を示す剣を握っています。興味深いのは目隠しをしていることで、予断や偏見を一切排した眼差しで裁きに臨むことを意味しています。これは、真の裁きがいかに難しいことであるかを示してもいましょう。

 使徒信条の“ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け”との言葉は、まず主イエスがこの世界の歴史の只中に受肉されたこと、加えて神から来られた方がこの世の不当な裁きに服されたことを指し示しています。

 ピラトはその聡明さで主イエスが15「死刑に当たるようなことは何もしていない」ことを悟りながら、自らの立場を守ることを優先させ、無実と知りつつ十字架刑へと25「引き渡し」たのでした。告白の度ごとに唱えられるピラトの名は、この世の「裁きの座に悪が、正義の座に悪がある」(コヘレト3:16)ことを暴くものです。

 コヘレトの言葉が17「正義を行う人も悪人も神は裁かれる」と続くように、私たちの本末転倒したあり方は本来ならば神によって厳しく裁かれるべきものです。が、逆に主イエスはその十字架にあって、その裁きをすべて負われたのでした。

 一見、世の不当な力は勝利したかに見えました。が、主の復活は神のみ旨こそが勝利し貫徹することを告げたのです。信仰者は、この復活の主の光がすべてを照らし出すことを信じて、この世界を歩み行くのです。

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