「出発 - 全能の神の右に」

ルカによる福音書 22章66~71節
詩編 110編1~7節

 

 宗教改革者M.ルターは主イエスの昇天についての説教の中で、“主が近くにおられたとき、主は遠くにおられた。主が遠くにいたとき、主は近くにおられた。”と語りました。地上におられたとき弟子をはじめ一部の人々以外には主イエスは遠い存在だった、でも天の座に就かれて世界の誰もがその名を呼ぶことができる近い方となられた、との意味です。

 主イエスは69「今から後、人の子は全能の神の右に座る」と告げられて、十字架へと進まれました。すべてを治め給う栄光の座と釘付けられた十字架はまったく別のものに見えますが、主イエスにとってそれは同じものでした。9:28~でも、その31「最期」について語っておられた主イエスの姿は栄光の姿に見えたと、このことは指し示されていました。この31「最期」との語には“出発”という意味があります。私たちが親しくその名を呼び求めることができるようになるため、主イエスは十字架へと出発されたのです。

 「小さな群れよ、恐れるな。…父は喜んで神の国をくださる」(12:32)と主は言われました。主が神の国を見据えて地上を歩まれたように、教会・信仰者も約束された神の国の栄光をを仰ぎつつ課題ある今を歩むのです。

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