「仕える者のように」

ルカによる福音書 22章24~30節
創世記 32章23節~33章4節

 

 ご自身の十字架の意味を指し示す最後の晩餐の席で、弟子たちはあろうことか24「だれが一番偉いだろうか」と言い争いました。人間の抱える愚かさをあからさまに示したこの者たちに、主イエスは26「仕える者のように」なることを教えられました。それは十字架へと進まれた主イエスに従う道を意味しています(マルコ10:45)。

 イスラエル人の先祖ヤコブの名には“足を引っ張る、押し退ける”との意味があります(創27:36)。彼は生き抜くために、兄を父を伯父を出し抜き押し退け、実力で身を立てていった人物です(同25:27~、27:18~等)。一方その酬いとして、彼自身も時に欺かれる波乱の人生を歩みました。でもその生涯の節目で主は自らを現し、彼を祝し導かれるのです(同28:10~、32:2等)。こんな狡猾な人物に何故と感じますが、それは自己中心を抱える私たちを主は見捨てられないことを示しているのだと思います。

 ヤコブの生涯の最大のハードルは、出し抜いて激しい怒りをかった兄エサウとの再会を果たすことでした。このときのヤコブの姿は一転して、仕える者の姿を示しています。この前の晩、主は自らを現され人生最大の課題に向き合うヤコブとその格闘を夜通し共にされました。このことがヤコブを変えていったことを思います。そのヤコブを、兄エサウは涙と共に抱きしめ、二人は和解を果たしたのでした。

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