京都丸太町教会礼拝 「Singing here is ended, God is young」

ルカによる福音書 21章29~33節
イザヤ書 55章8~11節

 

 説教題は、幼少期を私どもの教会で過ごされ、のち神戸女学院第5代院長を務められたC.B.デフォレスト宣教師(1879-1973)が晩年に詠まれた詩の一節です。この先生がご両親と一緒に眠られている墓石はちょっと変わった角度で建てられており、一面は仙台人が愛する太白山に、もう一面は母国アメリカを臨む太平洋に向けられています。ご両親も先生も、遣わされて来た故国と遣わされた日本と、その両方を見据えてその生を全うされたのでした。

 この詩においても、やがて終わりを迎える自らの生、そして永遠を司られる神のみわざ、この二つが見つめられています。そしてこの二つの視点が、アジア・太平洋戦争という難しい時代にも先生をしっかりと立たせ歩ませた力の源泉であることを思うのです。

 私たちが木々の花や「葉」(30節)で季節を推し量るように、日々出会う出来事に向き合うと共に、「神の国」に思いを馳せよと主イエスは言われました(31節)。前段19節に現れる「忍耐」とは我慢してやり過ごすことではなく、課題あるそこに立ち続けることです。時に押し寄せ飲み込み翻弄する規模の課題に、私たちは独力では立ち留まり得ないでしょう。でも課題ある今も神の国の希望へと結ばれていることを仰ぐときに、なんとか立ち続け歩みゆく力が与えられるのです。

 激動の時代、デフォレスト先生の歩みには難しいことも多々ありました。が、「決して滅びない」(33節)神に支えられているから、私は与えられた生の終わりまで歌い続けることができる、と詠まれたのでした。私たちの昨日・今日・明日、その歩みにも永遠なる方の眼差しと導き、そして期待が与えられていることを仰ぎ、私たちも歌いつつ歩みましょう。

 

(2013年6月2日 京都丸太町教会にて)

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