「立ち帰る日」

ルカによる福音書 6章1~5節
申命記 5章12~15節

 

 ある 1「安息日」に、主イエスの弟子たちは 1「麦の穂を摘み…食べた」のでした。申命記5:12~には、安息日が一週を充実の内に歩むために全ての人さらには家畜にも与えられる休息のとき(13節)、また主の恵みのわざを想起するときであり(15節)、従ってこれを12「聖別」して礼拝に向かえと語られています。また同23:25~には、貧しい人が他人のぶどう畑・麦畑から食べることを許す規定があります。古代の規定でありながら、これらの律法が唯一の神の前に立つがゆえの友愛を明確に示していることに驚かされます。

 ところがこうした伝統を受け継いでいるはずの 2「ファリサイ派」の人たちは、弟子たちのしたことは脱穀・収穫にあたるから律法違反だと見咎めたのです。こうした変質を主イエスは嘆きつつ、 5「人の子は安息日の主である」と言われました。

 この言葉をどのように受け止めたらよいでしょう。主は、安息日がすべての人の解放と喜びの日であることを宣言されると共に、休息と平和に人々を呼び帰すためにご自身 5「人の子」の中に降り立たれたことを告げられたのでした。

 私たちも主日にただの 5「人の子」に立ち帰るとき、そこに寄せられる神の恵みと主イエスの臨在を見るのです。

コメントは受け付けていません。