「喜びの連鎖を」

ルカによる福音書 6章20~26節
詩編 37編7~16節

 

 26日、震災のため一週遅れて幼稚園修了式がもたれ、この園さいごの卒園児が巣立ちました。4人だけの幼稚園、年度当初大人たちはこれで園生活が成り立つのだろうかと心配しました。が、それは杞憂でした。教員の努力、未就園児や他園児との交流、保護者・教会員もページェントに加わるなどの助力もありました。それにも増して大きかったのは、園児一人一人に湛えられた生命の輝きであり、それがつながり響き合ってそこに「広さ、長さ、高さ、深さ」(エフェソ3:18)が生まれたことでした。

 主イエスは20「貧しい人々」21「今飢えている人々」21「今泣いている人々」は幸いである、と言われました。奪われて今これしかないと嘆くときにも、その小さき者を慈しまれる主の愛と、その主に与えられた生命の輝きは消えることはありません。特に愛する者とつないだ絆、そこに生まれた豊かさと平和は、たとえ地震でも津波でも奪い去ることはできないのです。

 私たちはこの20「神の国」=神の支配にあって生まれる喜びの連鎖に思いを向けたく思います。逆に、失望・悪意・敵意といった罪の力も負の連鎖となって、私たちを挑発するのです。しかしそうした力は、主の前にあって一時的なものに過ぎないと告げられています(詩編37:8~10)。

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